リア充とオタク・21世紀の日本の本質を穿つ2つの言葉

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リア充とオタク。
この2つほどわかりやすい言葉もないと思う。
日本人ってコンプレックスの塊なのかわからないけれど、どの国の人よりもとりわけ「勝ち組」と「負け組」の線引きを作る気がするな。
21世紀の日本では「リア充=勝ち組」「オタク=負け組」という意味で、暗黙の了解で使われている印象だ。

実際はオタクという言葉は多義語で「定義が違うのでは?」という意見もあるだろうけれど、言葉の意味なんてのは、個々人が具体的に定義したところでまったく不毛。
その言葉が世間で実際にどのような使われ方をしているのか、いわゆる「慣用」に目をあてたほうがいいね。
慣用はいつでも強い。
誤用であるはずの言葉が、それによって一気に正しい表現になってしまうことすらあるんだから。
こればっかりは大衆が強いのさ。
「オタク=何かに熱中している人」と定義したとしても、実際には「気持ち悪い」とか「負け犬」とか、世間ではそういう負のイメージで使われがち。
まずはこれをしっかり認識しないといけないんじゃないかな?

その対義語として「リア充」という言葉が機能する。
お金を稼げ、モテて、夜も不自由せず、毎日が自己実現で満たされている、そんな状態だね。
「オタク」は、それをなしとげることができていない状態と考えていい。

何が言いたいかというと、こういう感覚を大切にしてほしい、ということだね。
今の日本って想像以上に活力がないし、夢も希望もないって感じ。
そんなときこの「リア充」とか「オタク」とかいう言葉を聞くことで、いろいろイメージすることもあるでしょう?
オタクは気持ち悪い。リア充は輝いている。
そんなことを考えれば「オタクになりたくない、リア充になりたい」なんて思うこともある。
それだけでその思いは、モチベとして立派に成立する。

どうか日本独特のコンプレックスの雰囲気だけで、自分の可能性を貶めないようにしてほしい。
そして他人を妬んだり、見下したりもしてはいけない。
そんなことをしているうちは永遠に性格が悪いままだし、成功なんて夢のまた夢だから。
逆にこういう感覚は、うまく利用していこう。

言葉は魔法のように使えれば、それだけで勝ち。
リア充やオタクという言葉をとおして、少しでもやる気のでる人が現れれば、僕はそれでいいと思っている。
特にこの2つの言葉、今の世代の人達には響く言葉だろうからね。
今後の時代をになう若手には、どんどん行動してもらわないといけない。
というわけで、今日は以下のエールを皆さんに贈って、記事をしめよう。

キモいオタクになりたくなければ動け!
恋人作って稼げて夢をかなえられるリア充になりたければ動け!

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