「人間の心理」カテゴリーアーカイブ

子供が勉強をしない最大の理由

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たとえばみんなはキャッチセールスで、ある商品を「買え」と言われたら、素直に買うかな?
それとおんなじ。
勉強だって親や教師からしつこく「やれやれ」言われてるうちは、子供は絶対にやろうとしない。
こんなことは当たり前の心理だ。

だからもうね、そこからして根本的にまちがっている大人というのは多い。
四六時中、子供に「勉強しろ」と言ってる大人はセンスがないので、なおさら子供からは煙たがられる。
それが子供のためになる嫌悪感ならともかく、子供のためにもならない嫌悪感というのは、本当になにもうみださない。
ただの大人の自己満足。
子供にとっても大人にとってもマイナスだね。

勉強も恋愛もセールスもね、誰だって興味のないものには手をだそうとしないもんだよ。
だから毎回別の記事で言ってるように、モチベーションを強化することのほうが大切なのさ。

「買え買え」と言われると買わないし、「やれやれ」と言われるとやらない。
実はこうした心理というのは「限定性・希少性の原理」に基づいてもいる。
発展途上国の子供たちが勉強をしたがるのは、勉強できる環境自体がそもそもないからだろう。
日本の子供たちのように、おしつけにも等しい環境がある場合は、やりたがらない人のほうが多くなる。
むしろこうした状況で受動的に勉強しちゃっている子供たちは、流されやすいとすら言えるので、将来大人になったときに自立能力があるかどうかが怪しいね。
学歴はあってもなかなか稼げない、モテない、生活水準があがらない、という人が増えているのは、こういう背景があるからだ。

ある特定のことができない環境だと、その特定のことが無性にやりたくなる。
これは勉強のみならず、マーケティング、恋愛、あらゆることに言える。

理想的なのは、その対象の魅力を紹介するだけに、とどめておくこと。
「勉強しろ」とか「買え」とか「つきあえ」とかは、言ってはいけない。
そんなことよりも、勉強したくなるような、買いたくなるような、つきあいたくなるような、そんな心理にできる人が、子供も言うことを聞くし、商売もうまいし、モテたりするんですね。

「限定性の原理」を使用して、あえて勉強する機会を与えないのも手だけれど、勉強の場合は継続性が重要だし、勉強できる環境だけは与えておく。
ただ、あとはもうガミガミ言うことはない。
そのかわり、その子供の理想ややりたいことについて話していたほうが、よっぽど事態は改善するね。
子供の好奇心を育むような夢のある話を、たくさん聞かせてあげよう。

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リア充とオタク・21世紀の日本の本質を穿つ2つの言葉

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リア充とオタク。
この2つほどわかりやすい言葉もないと思う。
日本人ってコンプレックスの塊なのかわからないけれど、どの国の人よりもとりわけ「勝ち組」と「負け組」の線引きを作る気がするな。
21世紀の日本では「リア充=勝ち組」「オタク=負け組」という意味で、暗黙の了解で使われている印象だ。

実際はオタクという言葉は多義語で「定義が違うのでは?」という意見もあるだろうけれど、言葉の意味なんてのは、個々人が具体的に定義したところでまったく不毛。
その言葉が世間で実際にどのような使われ方をしているのか、いわゆる「慣用」に目をあてたほうがいいね。
慣用はいつでも強い。
誤用であるはずの言葉が、それによって一気に正しい表現になってしまうことすらあるんだから。
こればっかりは大衆が強いのさ。
「オタク=何かに熱中している人」と定義したとしても、実際には「気持ち悪い」とか「負け犬」とか、世間ではそういう負のイメージで使われがち。
まずはこれをしっかり認識しないといけないんじゃないかな?

その対義語として「リア充」という言葉が機能する。
お金を稼げ、モテて、夜も不自由せず、毎日が自己実現で満たされている、そんな状態だね。
「オタク」は、それをなしとげることができていない状態と考えていい。

何が言いたいかというと、こういう感覚を大切にしてほしい、ということだね。
今の日本って想像以上に活力がないし、夢も希望もないって感じ。
そんなときこの「リア充」とか「オタク」とかいう言葉を聞くことで、いろいろイメージすることもあるでしょう?
オタクは気持ち悪い。リア充は輝いている。
そんなことを考えれば「オタクになりたくない、リア充になりたい」なんて思うこともある。
それだけでその思いは、モチベとして立派に成立する。

どうか日本独特のコンプレックスの雰囲気だけで、自分の可能性を貶めないようにしてほしい。
そして他人を妬んだり、見下したりもしてはいけない。
そんなことをしているうちは永遠に性格が悪いままだし、成功なんて夢のまた夢だから。
逆にこういう感覚は、うまく利用していこう。

言葉は魔法のように使えれば、それだけで勝ち。
リア充やオタクという言葉をとおして、少しでもやる気のでる人が現れれば、僕はそれでいいと思っている。
特にこの2つの言葉、今の世代の人達には響く言葉だろうからね。
今後の時代をになう若手には、どんどん行動してもらわないといけない。
というわけで、今日は以下のエールを皆さんに贈って、記事をしめよう。

キモいオタクになりたくなければ動け!
恋人作って稼げて夢をかなえられるリア充になりたければ動け!

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他人を変えることのできるたった2つの方法

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どんなに才能がある人でも、他人のことを根本から変えるってことは、なかなかにできることではない。
それはこれまで情報起業で大きく稼いできたお金持ちを見ていても、思うこと。
彼らは大々的に塾をやるわけだけど、それによって大きくマインドチェンジできる塾生は、ごく一握り。
だからこそお金持ちの側としても、その一部の親和性の高い、やる気のある塾生としか、つるもうとしない。
だって、面倒くさいから。
プラスに動いている人をさらにプラスに動かすのは結構楽なんです。
でももともとがゼロだったりマイナスにいる人をプラスに持っていくのは、すごく手間がかかるし難しい。
動いてない石を転がすより、助走をつけた石のほうが転がしやすい理屈と同じ。
ステージアップというか、よほどの劇的経験がないと、マイナスにいる人はプラスにはこれない。
結局多くのマイナス側の人が、おきざりになってしまうわけさ。

原則人が変わるためには、それまでの人生が否定されないといけない。
でも人は他人から批判されると、ついつい反発してしまう。
だから変わるには自己否定しかないんだね。
無理やり他人を変えようとするより、自己否定をさせるよう促す燃料みたいなものをどんどん流したほうが有効、ってのは確実に言えると思うよ。

だから優れている人は率先垂範で、自分から進んでお手本を見せていくことが重要。
それ以上のことはしない。
ただ相手に「こういう生き方がある」とアピールするだけで、その生き方自体を強制してはいけない。
なんでかって、時間の無駄だから。

これまで僕も、センスやホスピタリティーのない人にはかなり出くわしてきた。
でもやっぱり僕も、彼ら全員を変えていくことは、できなかったんだね。
どれだけ良質な提案をしたところで、相手が反省し実行しなければ、センスのない人はどこまでいってもセンスがないのです。
いつまでたっても生活に変化はなく、成長することがない。
結局いまのままで満足しちゃってるわけだから、どこかで危機感・不満を生じさせて、モチベに変えさせないといけない。

とまあ、それで「ダメな奴はいつまでたってもダメ」って切り捨ててしまうのもよくないから、どうにかして他人を変えることのできる劇的方法、なんかないかな、と考えてみた。
例外的にふたつだけ思いついたから、それを紹介しておくね。

ひとつは恋愛。
恋愛をとおして、人は大きく成長できる。
たとえば僕に恋する人は、僕に見捨てられないようにいろいろ努力することになる。
僕というモチベがあるから、変わろうとするわけだね。
そういう強制的な変化例であれば、確かにあるよ。
自分という存在を相手にとってモチベにしてあげることができれば、それが一番手っ取り早い。
だから情熱的な恋愛ってつねにやっておいたほうがいいですよ。
すごい原動力になるからさ。

もうひとつは宗教。
宗教という建前を用意してあげれば、意外と信者はなんでも言うことを聞く。
たとえが悪いけどオウム真理教。
あれだって別に人を殺す気のなかった信者たちが、上の命令で地下鉄サリンとかいって毒ガスをばらまいたわけでしょ。
だから情報起業家の多くがやっている塾とかいうやつ。
あれは塾ではなく、宗教にしたほうが手っ取り早い気がするんだよね。
そして学ぶ側も塾生ではなく、信者にしてやる。
うん、そっちのほうがよっぽど言うこときくよ。
お金持ちになりたいとか、自己実現したいとか。
なんであれ現状を変えるには、マインドを変えないといけない。
そのマインドを変えるために一番てっとりばやいのは、結局のところ、宗教にあるような修行なんだからね。

恋愛と宗教、どっちも共通しているのは、相手を自分に精神的に依存させること。
長い目で見ると本来こういうのってあまりよくない傾向だけど、他人を変えるためにはそういう劇薬を流してやるということも、有効っちゃ有効だよね。
恋愛のうまい、モテる人であれば、宗教を作ることも原理的には可能だよ。
これも結構、ポイントなのです。

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