「文章表現技術」カテゴリーアーカイブ

考えごとが好きな人は文章もうまい

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これも面白いことに、英検準1級とか1級とかの資格があるのに、まったく自発的に英語を書けない人がいるいっぽうで、そこまで英語の知識がないのに、どんどん英語を書けてしまう人もいる。
これは単純に、その人自身に意見があるかどうか、言いたいことがあるかどうかで差がつくんだ。
正直言いたいことがあれば日本語だろうと英語だろうとドイツ語だろうとペラペラ話しだす、そういうものなんだね。
学校で教わるかたっくるしい文法や規則にとらわれず、海外のドラマやアニメでも見て、実際に使われている外国語をもとに、どんどん自由に表現していくことが重要だね。
たとえば実際の英語ではかなり頻繁に使われる「ain’t」なんて、学校では絶対教えてくれないでしょ。

前記事の「国語は文章力には関係ない」で書いた翻訳訓練では、文章力が強制的に向上する。
だけどこのように、そもそも主体的に言いたいことが勝手に脳内からあふれだしてくる人は、こんな翻訳訓練自体も不要、ということになる。
翻訳で鍛えるのは自由な発想、つまり思考力だからね。
思考がつまらない人は、えてして文章もつまらない。
その思考の部分を、翻訳によって強制的にひきだそうってわけ。

以前「人格(思考)は周囲におく情報や人(言語)によって著しく変化する」って書いたけれど、これも本当。
人間は極めて後天的に相対的な生き物。
他人へのホスピタリティーに疎い人ばかり囲っていれば、だいたいその人も他人を傷つける側の人になるし、思いやりをもって育てられれば、その人もまた思いやりを持つ。
思考も同じ。まわりに良質な思考をくりだす人を配置しておくことで、その人のステージも一気にアップする。
ひいてはコンフォートゾーン自体が推移していくことになり、成功者の脳に近づくわけだ。
考えごとや書くこと自体が嫌いという人も、こうして環境を変えるだけで一気に好き嫌いが変わり、思考や創作が好きになる。
だから「マイナスの気運をもつ人は、なるべく成功者と接する機会をたくさん作れ」というのは、どの自己啓発セミナーでも言われることだね。

まあ本来人間は知的行動というのが大好きなはずだし、思考も創作も好きなはずなんだね。
エイブラハム・マズローの欲求ピラミッド、あれのてっぺんにあるのは自己実現欲求であることからも、それはもう確実に。
現代人は余裕がないので欲求ピラミッドの下層、生理的欲求や安全欲求ばかり追求しがちだけど、成功者になるなら、この自己実現欲求を軸にした人生にしていくことが、なにより重要。
だから考えごとや書くことが嫌い、という人も、環境を変えることに億劫にならないこと。
しばらくは修行と思ってやってみよう。

言語相対論でも、こんな事例がある。
ある未開の国の言語には、色の概念が「白」か「黒」しかない。
そういう国の人々がモノを区別するときは、色よりも形で区別するほうが効率的、という実験結果がある。
これを色で区別させようとすると、時間がかかったり、めちゃくちゃになったりする傾向がある。
こうした区別ではアメリカや日本のように、多彩な色の概念がある国のほうが、時間もかからなくて正確。
あきらかに有利、というわけ。
言語、すなわちまわりに配置する情報次第で、ここまでその人の能力にも影響していってしまう。
そう、思考とか人格以前の問題だよこれは。このパターンでは能力にまで影響してくる。
ここまでくるともう魔術的、とすら言えるよね。
だから環境ってのは本当に重要なんだ。

興味ある人は哲学の分野にも手をだしてみると、やはり思考力は深まると思う。
哲学ってのは、もともとそういう分野だしね。
個人的には特に言語哲学はオススメだね。

僕も昔から考えごとは好きで、物心ついたときにはメモの習慣があった。
面白いことを考えたときと、意味のわからない言葉に遭遇したとき。
この2つのときに、メモをとっていたね。
そしてあとでまとめたり、調べたりしていた。
メモ習慣も、思考力を深めるうえでは重要。

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国語は文章力には関係ない

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今回は文章表現技術についてふれる。
アフィリエイトや作家業ではもちろんのこと、人によっては生きていく上で、文章表現能力っていちばん重要なことなんじゃないかな?
まあ日本、文を書けない人ってのは実に多い。
書けても下手くそというか、中身のつまらない文ばかり書いている人が、圧倒的多数。
なんでこんなことになるのか?
もちろんしっかりした理由がある。
この連続記事では、有料の情報商材級のことを無料で話すことになるので、心して聞いてもらいたいね。
最初は、現役学生には興味深いかもしれない、国語、数学、英語と創作を関連づけて話していこう。

まず国語。
国語が得意だからといって文を書けるかというと、そうではない。
「国語が得意」というのは、はっきり言っちゃえば「社畜になる能力がある」「誰かのご機嫌をとる能力がある」だから。
学校の試験とか模試とかセンター試験、受験の本試験。
国語の試験では何を試されるかというと、結局のところ「読む力」でしょ?
「書く力」ではない。
読解の問題は抜群にとけても、ごくまれに現れる筆記の問題はまったくできない、という子は多い。
小論文とかもそうだね。
国語の試験問題をとく行為自体は、極めて受動的。
対策をしても、将来的にはせいぜいよくて、場の雰囲気や空気を読む力、上司の気持ちを読みとる力が養われる程度のものなんだね。
別の訓練をしないと、書く力ってのは養われない。
そのことを確認しておきたい。
語彙が関わってくる以上、国語も得意であるに越したことはないんだろうけれどね、創作の本質ではないんです。

次に数学。
いきなりぶっちゃけてしまうと、小説家として有名な芥川龍之介。
彼は数学のほうが得意だったりする。
なにかしらクリエイティブなことができる人は、数学がめちゃくちゃ得意。
音楽の分野でもモーツァルトとかが、数学は大得意。
創作と数学は、密接に絡みあっている。
どちらも空間把握能力、ようするに右脳を働かせる作業が絡んでいるから。
左脳は論理、右脳は感性、ってのはよく言われることだね。
もちろん文を書く上ではロジックも必須だけど、結局ロジックはなにかを達成するための手段でしかないから。
目的がなければ、機能しない。
こればかりはみんながイメージする通り、創作の根底にあるのは感性なんだってことだね。
将来クリエイティブな仕事をしたいというのであれば、数学も無視できない。
少なくとも数学をやっておけば、創作脳を作りだす訓練になる。

そして英語、外国語。
受験の中では一番できてなくちゃいけない科目だけど、創作でも同様に一番重要な科目となる。
具体的に言えば、日本語を英語に、そして英語を日本語に翻訳する訓練をくりかえす。
まずはこれで文法的に正しい文章を書けるようになる。
君の文章を英語になおしてみたときエラーがあるなら、その文章は文章としては、成立していないんだな。
本場のクリエイティブ・ライティングでは、この翻訳という作業が実に重要。
良質な文の翻訳をくりかえすことで、左脳を鍛えるだけでなく、単純に良い文章を書くための下地を、脳内にインプットできる。
だからまったく文章を書けなかった人も、翻訳業をやることで能力をつけ、そこから作家になったパターンが結構ある。
小説をそのまま翻訳するんだもん、それをくりかえしていれば、次第と文章力も飛躍するに決まってるよね。
ちなみに今は世界文学とまで称される村上春樹も、この翻訳によってのぼっていった作家です。
意外と知られていないかも?

まとめると、書く力を養う上では、英語と数学が重要。国語は意外とどうでもいい、ということ。
数学は直接的には創作には結びつかないけど、創作の源泉となる発想力や感受性をひきだすことができる。
はっきり言えば面白い人間になれる。
また数学ができなくても英語ができていれば、翻訳をくりかえすことで「創作の下地」を作ることができる。
こういうことだね。
とにかくいきなり数学をやれ、というのも雲をつかむような話だろうし、面倒な人は単純に海外小説の翻訳でも繰り返していればいいね。
それだけでも飛躍的に文章力はあがります。
数学でいくなら才能型・芥川龍之介タイプ、英語でいくならコツコツ努力型・村上春樹タイプ。

実際のところ僕は国語が苦手で、それ以外の数学、英語、理科、社会はすべて得意。
特に数学が得意で、次に英語です。
国語が苦手でもこういうブログは書けてしまう、ということを覚えておいてほしいかな。

こう言われると、普段学習意欲のない学生諸君も夢がふくらんで、勉強しようと思うんじゃないかな?
最近のセンスのない教師は、きっとこういうモチベに関わることを、話してくれないものね。
大体の教師はつまらない人生送ってるから、こういうことは話せないようにできている。しょうがないね。

特に脳の構造上、数学が苦手と言われる女の子諸君、ぜひエンジンにしてほしい。
国語だけは得意、しかし他の科目は全滅、って女の子はこれまで何人も見てきた。
僕自身の好みを言えば、そういう女の子は従順で献身的なことが多いから、嫌いではないんだけどね(笑)
数学や英語をがんばってといている女の子の姿は、なんともかわいいものです。

また同じ「文章技術」のテーマで、次回記事を書きます。

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