「成功のための心構え」カテゴリーアーカイブ

熊本震災を有効活用し、あなたの中の「必要最低限のお金」の基準をあげよ

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(画像は新宿・小田急百貨店13Fのリストランテ・マキャベリより。いろんな種類のスパゲッティを楽しめるイタリアンだった。アイスケーキは、ちょっと食べにくかった)

急遽、筆をとっている。
現在九州地方が地震のオンパレード状態だが、毎回震災のたびに思うのは「震災になってからでは本当に遅い」ということ。

そしてツイッターやフェイスブックを見ていて「相変わらずだな」と思うのが、被災者にしても震災範囲外の人についても、結局のところ多くの人が口だけなんだな、ということだ。

被災者は自力で脱出することもかなわず、ただひたすら救助を求めるしかない人ばかり。
蚊帳の外の人たちも、「生きて」とか「離れていても、僕らは同じ青空の下にいる」とか、歯の浮くような台詞しかでてこない。
ひどい有様だな、と思う。
ヘリコプターによる救助を求めている人がいても、結局それをSNS上で拡散することしかできず、「じゃあ自分が助けにいく」と言ってヘリコプターをだすような人は、ほとんどいない。
茶番だし、気持ちの空回りだ。

お金持ちを中心に、それまでにちゃんと準備をしてきた人たちは、震災発生後すぐに脱出するか、もしくは震災がおきる前からすでに海外に脱出している。
そして蚊帳の外の人でも「誰かを助けたい」という気持ちがあり、なおかつお金があるなら、すぐにヘリコプターをだして救助しにいくこともできる。
お金の寄付だってできる。

こういうとき、事実としてお金はしっかり力になるのです。
そのことを、忘れてはいけない。

そしてここからが本題だが、基本的に人間というのは忘れる生き物だ。
気がついたときには普段の生活に戻ってしまい、この震災のことも忘れる。
危機感もなく「生活できるだけの必要最低限のお金がありさえすればいい」などと、うそぶくようになる。
ですので、「決して忘れるな」ということ。
月収20万円レベルでは自分が震災時に脱出することはもちろん、誰かが救助を求めているときに助けてあげることもかなわない。

被災者諸君。
被災地から脱出するためのお金は、絶対に月収20万円程度では、たらないのではないか?
そして蚊帳の外の諸君。
こういったとき救助を求める声をSNS拡散するだけでなく、本気で誰かを救助しにいこうとしたとき、本当に月収20万円程度でたりるのか?

あなたが「最低限必要とするお金」の基準は、こうしたときに教訓としてあがっていくものだ。
東日本大震災のことも含めて、そのとき自分が感じた「脅威」の感情が薄れてしまい、結局いつもどおりの怠惰な生活に戻るというのであれば、本当に学ぶことも反省すること改善することも知らない幼稚園児だ。

日本に住んでいる以上、震災発生による被災は、自己責任の覚悟の上であって然るべきだ。
ならばそれを前提として、お金やモノの準備をしておくのは、当たり前のことのはず。
「いつかくる」とわかっていることのはずなのに、いざきたときになったら慌てるというのは、結局何の準備もできてないということだ。
それでも「私はこのままでいいんだ」と斜に構えるのであれば「震災がおきて死んでしまっても、それで納得できる人生」という哲学で生きている人のはずなので、文句を言うのはナシ。

「知名度も力もない批評家・SNS拡散家になるのだけは死んでもごめん」という気持ちがあることもそうだが、僕はこういう震災のときほど、危機感をかきたてられて、執筆がはかどったりする。
人間は快楽を求める欲求より、危機を回避する欲求のほうが圧倒的に高い。
危機感というのは、人間の行動力を最大限にひきだす。
これを利用しない手はない。
効率的に生きるためのスパイスとして、有効活用しよう。
それを長続きするモチベーションにできるなら、なおのこと僥倖だ。

僕は東北大震災時の自分の無力さに腹がたって、それがいまでもモチベーションになっているが、結局それもどんどん薄れていってしまう。
そういう意味では、僕も今回のことで改めて、モチベーションの強化ができたわけだ。

他人を頼るな、とは言わない。
しかし最低限自分で前もって準備できるところは自分でがんばって、なるべく自分の身は自分で守るべきだ。

そのことを伝えたくて、今回は急遽記事を書きました。
今回みたいな事例も含めて、普段から「必要最低限のお金さえあればいいや」とか言っている人は、だいたい虚言だ。
やはりもっとお金が必要なはずなのだ。
その自覚を、より皆さんにしていただければ幸いです。

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冬でも国内で海水浴ができる南国・石垣島

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11月初頭は沖縄より更に南西の島、石垣島にいた。
どんなところかというと、日本の最南西にある島が与那国島で、その次が西表島。
その次にくるのが石垣島、という感じの場所だ。
もう台湾が目と鼻の先で、九州よりも上海や香港のほうが近い。

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気候は本州の「温帯」とは異なり「亜熱帯海洋性気候」と呼ばれる気候なので、異国も同然。
見たことのない植物が、たくさんはえている。
売られている食べものもやはり南国という感じで、緑色のバナナ、ゴーヤ、パイナップル、さとうきび、ドラゴンフルーツといった面々。
むこうでは「おそば」のことを「すば」と言い、「八重山すば」なんて中華麺もある。

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天気予報はほとんどあてにならず、スコールのような集中豪雨が突然降ることもしばしば。
11月は雨が比較的に少ない時期であるにも関わらず、だいぶ雲行きはひどいものだった。
現地の人々はスコールが降ってきても、まるで家でシャワーでも浴びているかのように平然と歩いているので、面食らってしまったね。

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11月であるにも関わらず猛暑だから、海水浴も楽しめる。
やろうとすれば12月、1月ですら、海に入れる。
海も絶景なもので、本州では見れないような、エメラルドグリーンに輝く海を見ることができる。
水が綺麗なことと、サンゴ礁が日光を反射することで、あのような輝きの色になるらしい。
本州とは海流そのものが異なっており、完全に南国の海流だから、プランクトンがまったくない状態。
サンゴが育つ綺麗な水の秘密は、そこにある。
川平湾などのグラスボードにのれば、その綺麗さが本当にわかるし、シュノーケルという、水中でも呼吸できる用具を使えば、黄色や青色の熱帯魚を、綺麗に見ることもできる。
石垣島のフサキビーチでは、そういったシュノーケリング用具が借りれるうえに、温水シャワーもあるのでオススメだ。
石垣島のはずれにある竹富島のコンドイビーチは、自然のまま残っているので、なんとナマコを見ることもできる。
また竹富島は警察がいないので、トラックの荷台に座って移動、なんてこともできるね。

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それと、石垣島はわりと大きい。
移動手段はタクシーが初乗り430円だから、複数人数で移動する場合はオススメだが、米原ビーチや底地ビーチ、最北端の平野ビーチなど、遠いところに行くなら、路線を正確に見たうえで、バスがオススメ。
市街地のバスターミナルでチケットを買うと、1000円で1日中バスが乗り放題。
免許がある人はレンタカーだろうけど、道に迷わないように注意が必要。
また海水浴をする場合は、カラスに荷物をとられないよう注意。
このことを考えると、海水浴時に貴重品を収容できるレンタカーは有利だね。

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気候や文化の違う場所に行くとなにがいいって、その土地の人々の生活習慣を見ることができること。
非常事態にでくわしやすく、良い意味での緊張感もうまれる。
そういったとき、どれだけ頭を使って冷静に対処できるかが、試される。
そしてなによりも堪え性が身につき、修行になる。
あんまりに突発的に雨がふるものだから、最初は僕もカッパなどを用意したほどだが、スコールがきても「さも当然」と言わんばかりに、その中を慣れっこで歩いていく現地の人々を見ていると、そんなことで慌てているのは、なんともアホらしく感じられちゃうんだね。
こうした旅行は、お金稼ぎのための成功マインドを身につける上でも、良い経験と言える。
堪え性がなければ、サイトアフィリなどのネットビジネスを、コツコツとやるなんてことはできないからだ。
そう。別にスコールが不定期に降ろうと、死ぬわけでもなんでもないわけさ。
成功哲学で言われる「死ぬこと以外はリスクではない」という言葉が、実に反芻されるね。
人間死にさえしなければ、だいたいのことはどうでもよく、許せるものなのです。

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日本国内で異文化と言えば、やはり亜寒帯の北と亜熱帯の南だろうから、北海道以北や沖縄以南にいくことで、実りある旅にすることができるだろう。
パスポートの必要もないし、気楽に行くことができるので、オススメ。
もちろん、そもそも日本語すら使われないような異国の地におもむけば、さらに収穫の多い旅になることは、うけあいだ。

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はじめての飛行機、はじめてのシュノーケリング、はじめて見るナマコと、今回もだいぶ良い経験をした。
実は飛行機も幼少期以来の久々で、僕にとって今回の飛行機は、実質初体験も同然だった。
そうした「はじめて」というものを、旅だけでなく毎日の日常でも、刺激や学びとしてとりいれていけるといいね。

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「価値観」という言葉を多用する人にロクな人はいない

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「価値観」とか「主義主張」とか「考え方」とか。
なにかにつけて「あなたと私は価値観が違うから仕方ないね」なんて言ったりする人がいる。
そういう人が成長できた試しって、少なくとも僕は見たことがありません。
だってそこで会話が停止してしまい、発展性がないから。

自分の現状を不幸であると嘆く人であれば、なおさらこうした言葉を使うのは厳禁。
なぜなら「価値観」という言葉は、すでに人生の成功している人が言うことで、ようやく説得力や意味を持つから。
お金がぜんぜん稼げていなかったり人脈に恵まれていなかったりと、人生を失敗しつづけているような人が、価値観とか主義主張なんて言葉を使ったところで、空虚でまったくの無意味。
あなたにそういう価値観や考え方があるから、現状のあなたの不幸な結果がある。
そのことを素直にうけとめることのできる人が、圧倒的に少ない。
なにかにつけて言い訳してみたり、世間一般のしいたレールからはずれるのを極端に恐れたり。
典型的日本人、って感じです。
人生のどんぞこにいる人は、とにかく成功者がやっていることの「守破離」に徹するべきです。
この段階での自分なんて存在は、捨ててしまっていい。
やることもやらずに不平ばっかり言っている言行不一致な人達に、そもそも価値観なんて言葉を使う資格すらない。
何様なんだ、って感じです。

価値観なんて言葉を多用することは、自分の思考や成長を著しく停止させる。
すでにお金がたくさん稼げていて人脈に恵まれてる人であっても、自分の価値観とは別に、しっかり外の世界から新しい考え方を導入しつづけているものだ。

つい先日、僕の知り合いの女の子にも、ぐちぐち不平ばかり言って、その現状をお酒でごまかしてラインでいきなり通話をかけてくる、なんて子がいた。
こういうことが僕と深くつきあっている人でも起きうるというのは、なんとも悲しいことだね。

年収1億円くらいあるお金持ちのメンターであっても、自分が展開する塾で成果をだせる塾生が少ない。
そしてそのことにメンターたちは、深く悲しみを覚える。
最近になって僕も、その気持ちがわかりつつある。

結局のところ、最初からプラスの方向に転がっている大石を、さらにそちらがわに加速させることは容易い。
止まっている大石を動かすには、最初に大きな力が必要。
そして逆走している大石に関しては問題外で、正しい方向に大石を転がしてやるために、相当な労力が必要。
そういうことなんだ。
どれだけ大きな動機があっても、結局行動が伴わない。

なんであれ僕自身も、今後誰と人付き合いしていくかは慎重になっていかないといけない。
そう実感する日々です。

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