「価値観」という言葉を多用する人にロクな人はいない

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「価値観」とか「主義主張」とか「考え方」とか。
なにかにつけて「あなたと私は価値観が違うから仕方ないね」なんて言ったりする人がいる。
そういう人が成長できた試しって、少なくとも僕は見たことがありません。
だってそこで会話が停止してしまい、発展性がないから。

自分の現状を不幸であると嘆く人であれば、なおさらこうした言葉を使うのは厳禁。
なぜなら「価値観」という言葉は、すでに人生の成功している人が言うことで、ようやく説得力や意味を持つから。
お金がぜんぜん稼げていなかったり人脈に恵まれていなかったりと、人生を失敗しつづけているような人が、価値観とか主義主張なんて言葉を使ったところで、空虚でまったくの無意味。
あなたにそういう価値観や考え方があるから、現状のあなたの不幸な結果がある。
そのことを素直にうけとめることのできる人が、圧倒的に少ない。
なにかにつけて言い訳してみたり、世間一般のしいたレールからはずれるのを極端に恐れたり。
典型的日本人、って感じです。
人生のどんぞこにいる人は、とにかく成功者がやっていることの「守破離」に徹するべきです。
この段階での自分なんて存在は、捨ててしまっていい。
やることもやらずに不平ばっかり言っている言行不一致な人達に、そもそも価値観なんて言葉を使う資格すらない。
何様なんだ、って感じです。

価値観なんて言葉を多用することは、自分の思考や成長を著しく停止させる。
すでにお金がたくさん稼げていて人脈に恵まれてる人であっても、自分の価値観とは別に、しっかり外の世界から新しい考え方を導入しつづけているものだ。

つい先日、僕の知り合いの女の子にも、ぐちぐち不平ばかり言って、その現状をお酒でごまかしてラインでいきなり通話をかけてくる、なんて子がいた。
こういうことが僕と深くつきあっている人でも起きうるというのは、なんとも悲しいことだね。

年収1億円くらいあるお金持ちのメンターであっても、自分が展開する塾で成果をだせる塾生が少ない。
そしてそのことにメンターたちは、深く悲しみを覚える。
最近になって僕も、その気持ちがわかりつつある。

結局のところ、最初からプラスの方向に転がっている大石を、さらにそちらがわに加速させることは容易い。
止まっている大石を動かすには、最初に大きな力が必要。
そして逆走している大石に関しては問題外で、正しい方向に大石を転がしてやるために、相当な労力が必要。
そういうことなんだ。
どれだけ大きな動機があっても、結局行動が伴わない。

なんであれ僕自身も、今後誰と人付き合いしていくかは慎重になっていかないといけない。
そう実感する日々です。

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