進撃の巨人。
普段アニメを見ない人でも、わりと知っている人は多いのではないだろうか。
そのアニメのワンシーンをぼんやり見ていて、作中のアルミンというキャラが大敵を倒すため、友人のアニというキャラに交渉を持ちかけていた。
アニが「私が良い人に見えるか?」とアルミンに問いかける。
そのときのアルミンのセリフ。
「良い人」という言い方は好きではない。
すべての人間から100%「良い人」扱いされる人はいない。
だからこの話にのってくれなかったら、アニは僕にとって悪い人になるね。
これを聞いていてふと考えたことだけれど、なにかにつけて日本人って、昔から「都合の良い人」扱いされるのが嫌い。
なんでだろ、って思います。
僕としては「別にいいじゃん」って思ってしまう。
特に女性で、「私は都合のいい女」とか言って、相手の男性に籠絡されていると思って、ひねくれているパターン。
でもよく考えてみたら、女性のほうだってその相手の男性が自分にとって「都合のいい男」だから、つるんでるわけだ。
都合の悪い相手だったらそもそも離れてるじゃん、って話です。
別に「嫌」と思う要素は、なにもない。
だから僕はよく「都合のいい女」を自称する人がいたら、「都合の悪い女よりはマシでしょ」と言ってあげたりする。
むしろ世の中、自分にとって「都合の悪い人間」や「そもそもどうでもいい人間」のほうが、いくらでもいるわけ。
そんな世界で、自分が誰かにとって「都合の良い人間」になれているということは、欠点ではなく、むしろ長所とすら言えないだろうか?
たとえば僕のメルマガを登録したり、サイト・ブログを購読している人にしたって、僕のことが「都合がいい」から、そうするわけだ。
誰かの役に立っている時点で、長所。
お金も稼ぎやすくなって、むしろいいことしかない。
おそらく嫌悪しながら「都合のいい女」を自称する人たちは、「相手の男からリターンを得られていない」という錯覚に陥ってるから、そんなことをうそぶくのだろうと思う。
なんてことはない話で、そういうパターンでは、実は相手の男もまた自分にとって「都合のいい男」であることが多い。
女性の方々は、その自覚がないだけ。
そして「都合が悪い」のであれば、相手にせず離れればいいだけ。
「都合のいい人」扱いされることで落ち込んだり、欠点に思う必要はない。
むしろどんどんウリにしていって、稼ぐことやモテることに活かしていったほうがいい。
そういうお話です。
「都合のいい人」扱いされて落ち込むのって、なんだかよくわからない日本人の変な悪習なので、気をつけたほうがいいな、と思った。
実際僕としても、誰かを雇ったり、つるむのであれば、あきらかに「都合の悪い人」や「どうでもいい人」よりも「都合のいい人」。
その相手にとっても僕のことが都合よいのであれば、ぜひおつきあいしましょうね、ということだね。
それが資本主義ということだし、なんてことはない話。
価値と価値の交換。
お互いにとって「都合のいい人」同士であるならば、じゃんじゃんつるんでいこう。
実際、自嘲気味に「都合のいい女」を自称する方は、チャットレディなんかやってみたら、だいぶ稼げる傾向にあると思うね!
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吟遊詩人ばっかりやってないで、たまには「稼ぐ系」の商品の紹介をしようと思う。
最近はいろいろな情報商材を買いあさっているけれど、オススメは新田祐士(みんてぃあ)氏の「新世界アフィリエイト」。
2万円程度で買える。
「自分が主人公」「ストーリーを持たせるべし」というところは、非常に共感して読めた。
昨今アフィリエイトのやり方を解説している商品なんていくらでもあるけれど、それでも成果がでない人は多い。
「なぜなのか?」といえば、結局「多くの人はクリエイティブ性がないから」というのがひとつある。
これはいままで僕が教えてきた人を見ていても、よく思うこと。
つきつめれば情報起業というのは、一種の「作家」になること。
こういうことは、情報発信者である僕自身の口からでてしまっては問題になるかもしれないが、もっと言ってしまえば「宗教の教祖」だ。
事実、つきしたがってくれる信者・ファンをたくさん作れない人は、情報起業ではなかなか上にいけない。
僕はもともと小説家志望だったので、情報業界にとびこむ以前から、そこらへんのセンスはわりと磨かれていた。
手前味噌になるが、ファンを作ることにかけては、どこにいっても天然レベルでうまいわけだ。
でも、そうでない人のほうが現代では圧倒的に多いと思うので、そうした人にはオススメの商材となる。
たとえばいままで、ステレオタイプの機械的な生き方をしてきている人。
まわりの人をまきこむというよりは、まきこまれる側の人。
面白いことを言えない人。
そういった人たちだね。
たとえば今回僕が書いた記事にしても、漠然とアニメ・ドラマ・映画を見るのではなく、そこからなにかの「気づき」を得て、ネタにしている。
つまり、思考力や発想力で記事を作っているわけだ。
人間の本質的な価値提供能力って、そこにある。
これは僕も小学生のときから思っていたことだけれど、ただ知識をつけるだけなら、誰にでもできるんだね。
そんなものよりも、物事を発展させていくような思考力・発想力・創造力といったもののほうが重要。
そういった信念が、昔からあった。
なぜならそちらのほうが理性・感性を持った人間の生き方としては、圧倒的に面白いからだ。
漠然と知識を身につけるだけの受験むけの生き方をしているより、そういうことをしていたほうが、純粋に楽しい。
だから僕にとっての勉強というのも、主に「面白く生きるための学習・経験」に集約されている。
そういった物事を楽しむ気概って、やはり稼ぎ力とか恋愛力とか、総合的な人間力に生きてきたりするんだね。
ネットビジネスでは「コピーライティング(マーケティング)が必要」と声高に言われるけれど、それは本質ではない。
あくまでマーケティングは掛け算の部分。
もともとの商品価値がゼロのものには、いくら掛け算をしても0のまま。
リピーターがまったくできず新規顧客ばかりで、批評がとびかいやすいネットビジネス起業家は、この分類だ。
たとえば町中にいるナンパ師にも、こういった人種は多いと思うね。
そんなふうに口八丁になったり、ノウハウばかり提供するのでなく、そもそもの自分の中の思考力・感性力といった根本的価値を明確に作っていこう、というのが、こちらのみんてぃあ氏の教材になります。
僕の文章が好きな人は、おそらくみんてぃあ氏の文章も違和感なく読めると思う。
ちなみにみんてぃあ氏は京都大学理学部卒業・同大学院中退。
典型的インテリ理系だけれど、起業するには大学院が邪魔ということで中退。
「学歴になんて意味はない」と言わんばかりな姿勢と、それで実際に成果をだしてしまっているという事実。
これをどう受け止めるかは、みんな次第だ。
傾向として、これまでアフィリエイトやインフォプレナーをやっていて、あまり稼げてこなかった人たちは、文章が「のっぺり」としていることが多い。
その「のっぺり具合」をなんとかして「自分の文体を手に入れたい」という場合に一番オススメする方法は、文学新人賞をとる勢いで、小説を一作しっかり作ってみることだ。
その自信がないうちは、なにか海外小説を、文体を意識しながら日本語訳してみること。
こういった訓練がオススメになってくる。
これらの詳細・具体例・僕の過去の実践例については、今後僕が作る予定の情報商品内にて紹介しようと思う。
お楽しみに。
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