「成功のための心構え」カテゴリーアーカイブ

「本当の自分を見てほしい」と言ってくる人は大体地雷

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特に恋愛で、こういうことを言ってくる人は多い。
正直退屈で、別れがちな恋愛になりやすいね。
実際僕のまわりでも、このような恋愛をしている人は、最終的に大体失敗している。
なんでかって、だいたいの人が「本当の自分=怠けた自分」という意味で、使いがちだからだね。
「本当の自分」なんて言葉を使う人は、往々にして成長がとまってしまっている。
そんな人とつきあっていても、全然つまらない。

そもそも「本当の自分」ってなんだろう?
人は局面に応じて、いろんな人格を使い分けるのが当たり前。
もはや本当の自分なんて、あってないようなものだ。
にもかかわらず、あえて「本当の自分」なんてものを、自分の中の複数の人格から選び抜くのだとすれば、結局「自分にとって都合のよい自分」ということにならないかい?
百歩譲って、それが発展的な自己であればいいけれど、多くの人は素の自分、ありのままの自分、だらけた自分というのを言い表してしまう。
そういうものだよね。

「これが本当の私なの」とか言ったところで、結局は油断して、なにもしなくなるだけ。
そんなふうに腐っていくくらいなら、舞台上でなにかの役を、演じつづけたほうがいいよ。
できれば複数の役を局面によって使いわけて、演じつづける。
世界は演劇さ。
本当の自分なんてものは、なくていい。
無でいいとすら言える。
むしろ舞台上で偽りの自分を演技しつづけ、それに徹することが、わりと成長の近道だったりするのだから。
「思考は現実化する」の発展的な話になるけれど、自分に嘘をつきつづければ、やがてはそれが真実になる。
これは本当に。
そうやって演じ続ければ、気づいたときには自分が望んでいた自分の理想的な存在に、もうすでになっている。
演じることは、成長速度を最大限に飛躍させるものさ。

舞台上にたって演技して、観客側を満足させることのできない人は、いつまでたっても成長しない。
当然お金を稼ぐこともできないね。
相手が見せられて嫌だと思うことは、見せちゃいけない。
どんなにその相手が仲の良い人であったとしても、ね。
誰だって他人の家の便器の中身は、見たくはないよね?
別に見せなくていい部分は、見せる必要もないということなのさ。

甘えずに、観客席のみんなが見たいと思っている、理想的な自分を演じつづけよう。
その演技している自分こそが、本来自分の望んでいる自分であるはずだし、そっちのほうが人生はだいたいにして楽しいものなんだから。
演じることやめた時点で「輝ける自分」は終わるし、根本的に成長すらしなくなってしまう。
逆に「本当の自分」というものを持たないからこそ、人間は自由になれるのだし、ありとあらゆる束縛から開放され、クリエイティブに生きていけるんだ。

もし仮面の自分を演じ続けることに疲れるというのであれば、そんな人間関係は切ってしまえばいい。
簡単なことだね。
それも、人間が自由ならではこそできる行動だ。
演じるということは、本来別の自分へと成長するための、楽しいことのはず。
なのにそれが疲れるということであれば、将来の自分にとって害悪以外のなにものでもないのさ。
たとえば「社畜」という演技を1年間続けていて楽しいと思う人は、そうそういないんじゃないかな?
これはすぐにやめるべき演技、ということになるね。

ただしこういうことを言うと、「じゃあネットビジネスでも、自分が扱うテーマはどんどん変えていっていいんですね?」と解釈する人がいる。
これは誤り。
最初のうちは自分の専門分野を特化する必要があるね。
「本当の自分」と「自分の専門分野」を、ないまぜにしちゃいけない。
たとえば多くのネットビジネス起業家が、最初はお金稼ぎや恋愛などといった、自分の好きな分野をテーマにして、その専門性を極めていく。
つまりこの段階ではみんなから信用を得るため、専門性を一貫させなければいけないんだ。
でもそれにしても、成果がだせるようになるまでの、最初のうちだけでいい。
やがてはみんなリブランドして、作家のように自分の名前自体に価値をもたせ、従来の専門性のみならず、いろんなライフスタイルを展開していく。
実際のところ、多くの情報起業家の成功者は、ブログやユーチューブで、多種多様にわたる話題をネタにしているよね?
究極的には専門分野、すなわち好き嫌いなんてものにこだわる必要も、なくなっていくわけさ。

あんまり難しく考える必要はないよ。
実際の昔ながらの作家・小説家をイメージしてごらん。
彼らも最初の処女作では、一貫した専門性で小説を書くことが多い。
でも続編では、多種多様な分野に切り込んでいったりしている。

ネットビジネスで稼ぐということは、作家業になって稼ぐことと同じである。
このことを、強く認識しよう。
ネットビジネスをお金稼ぎのシステムとしか捉えられないうちは、いつまでたっても稼げないよ。
ダニエル・ピンク風に言えばモチベーション2.0の領域であって、浅はかだ。
自分の好きなことをやって、そのことを記事や動画にして、みんなに共有して生きていく。
だからこそ、ネットビジネスは楽しいのだから。

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恵方巻きを「えがたまき」と読んでいた

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「えほうまき」って読むんだね。
はじめて知ったよ。
なんかその恵方巻き? とかいうのを食べるのが、世間では慣例みたいだけど、特に僕は食べる予定もないね。
読み方すら知らなかったのだから、当然だけど。

こんな世間知らずな僕でも、全自動で月収100万とか稼ぐことができている。
それを考えると、みんなも「こんなやつにできているんだから、自分もなんか稼げそうだ」と思える気がしないだろうか?

別に「情報系で稼いでいる」と言っても、僕はなんでも知っているわけではないのさ。
ある特定分野に特化していさえすれば、本当にそれだけで良い。

昔はレオナルド・ダ・ヴィンチのように多芸に優れた「なんでも屋」が存在した。
でも今は自分の好きな専門分野に、自分の人生のすべてをかける人が多い時代。
中途半端に「なんでも屋」なんかやってたら、あっというまに他の専門屋に潰されてしまうね。
昔レオナルド・ダ・ヴィンチみたいなのが通用したのは、そのときは知識層の人口そのものが少なかったからに他ならないのさ。

なんでも知っている必要はない。
自分が興味のある分野だけ、極めておけば良いんだ。

とりあえず「稼ぐためには恵方巻きの読みを知っている必要はない」ということを、なんとなくみんなに伝えてみたくなり、今回即興でブログ記事を飛ばしてみたよ。
それだけ。

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やる気の正しい起こし方

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やる気には3つの種類があって、一番優れているのは、自分が好きなことをつきすすんでやれている状態、すなわち「モチベーション3.0」だと言われる。

1.0 → 生きるためにやる
2.0 → 報酬があるからやる
3.0 → 好きなことだからやる

これはお金稼ぎでも例外じゃない。
最終的には「自分の好きなことだけをやって遊んでいたほうが、お金はたくさん稼げる」ということ。
常識的に考えれば、非現実的かもね?
でも実際これって、昔の偉人のことを考えてみてもそうなんだよ。

たとえばアインシュタイン博士。
彼なんかは本当に自分の好きなことを、ただ徹底的につきつめているだけ。
それだけでいろんな国から重宝されて、結局生活に困ることなんてなくなっているじゃないか。
そもそも生活に困るとかいうレベルのことはもう思考の範疇にすらなくて、世界の科学技術を発展させることだけを、考えているわけ。

もちろん一般人がこういう境地へと行くには、それなりの下積みが必要だ。
結局こういうのって子供のときから極めていかないとダメだし、大人になってからじゃ難易度は格段にあがってしまう。

何の配慮もなく「普通の労働(2.0)が嫌なら、好きなこと(3.0)をやって稼げばいいのに」と言うものならば、そんなものはマリ・アントワネットが「パン(2.0)がないならケーキ(3.0)を食べればいい」と言っているようなもの。
とはいえ、それだけでこの話をすましていても、みんなの人生が変わることがないのも事実。
3.0の思考を、なんとかうまく自分の脳内に持っていくしかないね。

ただ本当のところを言うと、3.0だろうが2.0だろうが1.0だろうが、確固たるモチベーションがありさえすれば、別にモチベーションの種類なんてものは、なんでもいい気もするね。
なんでかって、1.0みたいな生存のための危険回避欲求が強ければ強いほど、結局感受性はとぎすまされるから芸術家タイプになって、3.0にしっかり昇華されるからさ。
昇華。
心理学の世界では、欲求不満のエネルギーが芸術活動へと流れること。
化学の世界では、物質が固体から一気に液体をとおりこして、気体へと状態変化すること。
今回の場合は、どちらの意味でも通じるね。
2.0をとおりこして、3.0に推移している芸術活動なわけ。
何を隠そう僕もおそらく、この1.0が3.0に昇華しているパターンだな。

2.0ももちろん同じことで、つきつめていけば、最終的には3.0へといきつく。
結局2.0ベースで大きく稼ごうとする以上、やがては「3.0になったほうが効率がいい」と気づくことになるからだ。
どんな種類のモチベーションであれ、そのモチベーションが強ければ、しっかり3.0の精神状態を持ってくることができるんだ。

あとは「石の上にも三年」の精神。
ブログとかユーチューブとか、メディア構築に全身全霊を注ぐだけ。
昔はアインシュタインみたく徹底的に特定分野をつきつめないと難しかったけど、今はネット社会だから、自分のことを喧伝するのがだいぶ楽になった。
ネット上で自分のメディアを作ることで、3.0の状態を実現する敷居が、かなりさがったんだね。
今はアインシュタインみたいな超絶的な天才専門家にならなくても、プチ専門家みたいな感じになれさえすればいい。
だから多くの人が、好きなことをしながら稼ぐことができるんだね。

みんなは今の苦しい生活から、いったいどんな未来を夢見ているだろうか?
その夢が継続するようなら、モチベーションもまたしっかりつづくさ。
そしてみんなの好きなことって、いったいなんなのだろうか?
その好きなことがあれば、徹底的に勉強しまくって、そのことをまとめたブログを作って稼ぐことができるさ。
好きなことがない場合でも、なんでもいいから勉強してみて、その内容をブログにはきだしてみればいい。

僕の持論だけどね、好きなことも嫌いなことも、極論これからいくらでも変えていくことができるのさ。
長い人生において好き嫌いなんて簡単に変節しちまう以上、あんまり好き嫌いにこだわるのはよろしくないね。
これ、想像以上の機会損失だよ。
何事も形から入る、ってのは重要。
やっているうちにそのうちそのことが好きになっていく。
そんなことは人生では往々にしてあることさ。
好き嫌いにこだわりすぎて新しいことにチャレンジできなくなっていく、なんて状況だけは、なんとしても避けていかなきゃね。

もし長期間、実際に同一テーマのことを勉強して、ブログでそのことをまとめてみて「やっぱり自分にはあわないな」と思ったら、そのときはそのときでいいじゃないか。
そのままそれはやめて、次に進んでいけばいいんです。
でもなにもしなけりゃ、そういう経験すらない。
どんな成功者も、幾多の失敗をくりかえして、たった一度の成功をようやくつかんでいる。
「まだそこまで好きになれないから」と尻込みして、いつまでも行動しないことのほうが、人生をよりリスクへと晒しているよ。

お金も人間の心も、基本的には体と同じ。
動かさなければ、どんどん鈍っていく。
だからお金を銀行に死蔵しすぎてはいけなくて、使うべきところではしっかり使っていくべきだし、せっかく心がいきりたっているのに、実際の行動にうつせず、日々を水の泡にするのも駄目。
思い立ったら、どんどん行動していこう。

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