不労と不老、ふたつの「ふろう」を求めていくスタイル

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ネットでどんどん表現活動をしていくはてに手に入った「不労所得」。
僕はそこにさらに、もうひとつ昔から夢見ているものがある。
そう、「不老不死」である。

馬鹿らしく聞こえるかもしれないけれど、僕はいたって大真面目。
不老不死なんてゲームやアニメの中だけの話、そんな風に揶揄する人もいるかもね。
でも実際のところ最近では、かなり実現可能性のある話になってきている。

以前、英検1級の問題文に書かれている英語のエッセイを、集中的に読む機会があったんだけど、その中で扱われている記事の大体が、いわゆる不老不死をテーマにしたものだった。
サーチュイン遺伝子、生体工学、ドーピング。
まあいろいろでてきたわけさ。
英検にでてくるようなエッセイでも、こういうことがもう真面目に議論されている。
それだけ健康・医療の世界もだいぶ進歩してきたってこと
だから意外と僕の生きている段階で、不老不死は実現するんじゃないだろうか、と希望を持っている。
このことはホリエモンも言っていたね。
「今興味があるのは人体と宇宙のことだけ」って。
その気持ちは僕もすごく理解できる。

年をとったあとに不老が実現してくれれば、そのあと若返る方法だって発明される可能性が高い。
一回不老になってしまえばあとは待つだけでいい、永遠の若さを手に入れることもできる。

僕らがいつも思うこと。
それは「人間はいずれ死ぬ」ということ。
野心家の多くが「死ぬまででもいいから、とにかくいけるところまでいきたい」って言うわけだけど、その多くは強がりな気がするよ。
いずれ人は死ぬ、その事実を前にしてしまうと、なにをしたって無意味なんじゃないか。
人生の積み重ねになど、意味はないんじゃないのか。
そう思ってしまうものではないだろうか?

不老不死が実現すれば、人生における積み重ねは、ちゃんと意味をおびてくる。
これによって「死ねばすべてが無駄」と開きなおって毎日を惰性で生きている人を、やる気にさせることだってできるでしょう。
眠っている才能を、呼びおこすことだってできるはずだ。

なにかを達成するためには人間の一生なんて短すぎるのだし、みんな真の野心家であれば、少しでも長く生きたいって思うはず。
成功者は「死ぬこと以外はリスクではない」って、みんな口揃えて言うわけだしね。
だからこれまで国の平均寿命だって結果としてのびてきた。

というわけで、不老不死に携わって研究している人達を、僕は積極的に応援していきたいと思っている。
他力本願なのもいけないし、やがては自分もそこに携わることすら考えている。
副次的にいろんな病気をなおす方法も、それで発明されるだろうしね。
いいことづくめでしょ?

倫理的に許されない、とか言う人らもいると思うけど、不老不死、それがみんなの生きる望みになるのなら、僕は全然アリだと思います。

「不老不死になるための不労所得」ってのが僕の人生における大テーマ。
だからこそより多く稼ごうとするんだろうな。
小説を書いたり、好きな女の子と遊んだり。
人生にはやりたいことなんて、たくさんあるしね。
できるできないの問題ではなく、そういうことを夢見ながら進んでいくって、とっても大切なことだと思うよ。

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