学校の存在意義ははてしなくゼロに近い

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ゼロに近い、は言い過ぎ?
でも実際そうなりつつある社会でしょ。

これから授業だってイーラーニング化してパソコンでOKな時代がくるだろうし、そうなると現場の学校に求められるのは、教職員の質。
単なる授業をおこなうだけの教師なんて不要。
アイドルとまでは言わないけれど、本当の意味で、生徒に未来や希望を与えるブランドある教師が、必要なんだと思うな。

教職員のほとんどはいまだに昭和というかなんというか、まあ形骸化しているね。
単に勉強くりかえすだけで教職免許とって、そのまま教師になったような温室育ちが多い。
リスクをとっていろんな経験して、人生哲学をしっかり屹立させてきた人の集まり、ってわけではないんだよね。
発想が固定観念化していて言っていることも稚拙だし、彼ら人生のなんたるかなんて、ろくに知りやしないんだから。
そういう人達が生徒に理想を与え、導くことができるかというと、まあ残念ながらないだろう。
これまで僕も尊敬できた教師なんて、一人もいないね。

たとえば、なにかあるたび単に「勉強しろ」とかセンスのないことを言う大人にだけは、なってはいけないね。
なにより効果がない。
それで実際に勉強する気になる子供が、どれくらいいると言うのだ?
このとき子供が「なんで勉強しないといけないの?」と疑問を発したとき、子供が納得するだけの答えや理由を与えてあげられるというのなら、話は別だけどね。
言っておくけど「将来あなたが豊かに暮らすため」は、なしだよ。
「なんとなくやっておいて損はない」とかはもう最悪。
昨今ではネットを使えば、別に中卒の無教養でも簡単にお金持ちになることができる世の中だ。
勉強の目的は、もっと別の所にあるはずだよね?

結局子供の動機の部分がしっかりしてなければ、勉強をする意欲自体わくわけもない。
そのことを理解していない大人は多いね。
勉強はあくまで手段。
ろくに子供の生きる目的や自己実現の部分にフォーカスできない大人がね、「うちの子供(生徒)はまったく勉強しない」とかごねているのを見ると、とても滑稽ですよ。
大人が本気で子供に勉強させたいと望むなら、それは大人の能力が低かった、ってことです。
その自覚がない大人は何やってもダメ。
反省もない。
子供のせいにしちゃいけないでしょう、自分らのせいだよ。

僕は別に勉強は無理してするものではないと思っているので、したくないやつはしなくていいと思ってるよ。
というか単純に、強制するからみんなやらなくなる、ってのもあるんじゃない?
途上国の子供の様子を見ていればそれは歴然。
勉強できない環境下だからこそ、彼らは自発的に「勉強したい」と言いだす。
いざ日本みたいな勉強の押し売り環境に放りこまれたら、そら本来したかった勉強だって、したくなくなります。
素直に子供の好奇心を走らせやすい環境にしてあげることのほうが、よっぽど大切だね。

なんというか最近は、むしろ教師より生徒のほうが大人びていて、良いことを言える時代だよね。
なんでこんなふうになったのか?
学校の教師よりも偉大なる教師、グーグル大先生を擁するインターネット社会の存在こそが、結局は大きい。
ネットを使えばわからないことなんて、なにもないんだから。
少なくとも周囲の大人が助言するようなことよりは良いことが、そこには書かれている。
人生をより良くするための手段も、ね。
ネットに流れてリテラシーを高くしていく、新人類とよばれる子供の急増。
そこに大人たちは脅威を感じている。
これまでの「こけおどしの自己満足な教育」が通用しなくなると、ようやく悟り始めたわけだね。

教師にかぎらず、親もそう。
大人のみなさんは子供と接するとき、ひとりよがりになっていないだろうか?
自己満足や感情だけで子供に暴言を吐いてみたり偉ぶったりするのは、下の下。
もうそんな古臭い昭和のやり方からは、いい加減脱却しましょう。
基本そういう大人に、子供は不信感をいだく。
あたりまえだね。

人格(思考)とは、まわりに設定・配置する情報(言葉)の質によって変わっていく。
悪口ばかり聞いてきた子供は悪口を言うようになるし、大人から快感を与えられた子供は、他人にも快感を与えようとする。
まわりにいる大人があまりに有害でしかないというのなら、子供は自分の環境を変えないといけない。
そういう意味で、ネットという環境は非常にお手頃なんだね。
子供はダメな大人の言うことは、聞いてはいけない。
どういうところでダメと判断するかは、まずは、将来自分がそのような大人になりたいかどうか。
将来自分がなりたくないと思っている大人の言うことを聞いていても、時間の無駄だよ。
成功者の言葉のみ、信じていかないといけない。
ネットにはそういう成功者ってのが、ゴロゴロ転がっている。
彼らの言葉や生き様を聞き、実践して、経験をつみかさねる。
それこそがより良い人生にするための最短ルート。

親、教師を含む、子供になにかを教える立場の大人達は、もう勉強さえ教えていればいい、という状況ではないんだよ。
やはり大人もまた周囲に配置する情報を、根本的に変えていかないといけない。
それをしないから形骸化するんだ。
ネットだって使うべきだし、リスクをとってどんどん経験をつみかさねることもおしんではいけない。
でないと大人諸君、気がついたときには今世紀の新人類たる子供達に、どんどん追い抜かされることになるよ。

子供にしても大人にしても、もはやネットを使って情報を集めていくのは必須。
深く思索し、人生を豊かにするためのノウハウを実践して、経験を積み重ねていく。
これこそが、成功の好循環と言える。
「子供のほうが活力あるから」「自分はもう年だから」と言い訳してネットに手を出さないでいる大人は、すぐさま浦島太郎になってしまう。
リテラシーも経験もなければ思考も人生哲学もなく、あっというまに子供になめられる大人の完成、ということだ。
こうならないように、気をつけて生きていきましょう。

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