2月の頭は、長野県の野沢温泉村に行っていた。
長野県もだいぶ広いが、位置的にはほぼ新潟県の近く。
山に雲がかかるほど標高も高く、しんしんと雪がふりつもる場所だ。
つい最近長野新幹線が北陸新幹線となって金沢までのび、だいぶいきやすい場所になった。
北陸新幹線に乗るのははじめてだったが、とにかく5分間隔でやってくる東海道新幹線と比べて、本数が少なかった。
ローカル線にしても、表示は綺麗な電光掲示板であるにもかかわらず、肝心の本数は数時間に1本という有様なので、とってもギャグっぽい。
飯山駅は線路と道のあいだに柵がないので、外部から簡単に線路に侵入できてしまう。
宿泊先の野沢グランドホテルは、客室に露天温泉がついているというのが特徴。
いつでも自室から気楽に、雪景色を楽しみながら、健康的な温泉に入ることができる。
同性同士で温泉にいくならともかく、異性と温泉に行く場合、一緒に入っている時間というのが、なかなか共有できない。
かといって混浴には抵抗がある。
そんなときにも、こうした露天温泉つき客室がオススメです。
雪がふっているときの露天温泉は笠をかぶったり、なかなか風情のあるひとときをすごせる。
ホテルでなくとも、村の中にも温泉・足湯がいくつもあり、無料で入れる。
温泉のスタンプラリー的なこともしており、全部集めると景品と交換できたりもできる。
一緒に温泉に入る人とは気楽に会話ができ、特に外国人と交流ができるのも面白い。
多くの雪山がそうであるように、野沢温泉村では温泉以外にも、スキーが楽しめる。
僕にとっては、人生はじめてのスキーだった。
長野県は現在、全都道府県で健康寿命が一番長いことでも有名だ。
ホテルの食事にも毎回「野沢菜の漬物」がでており、酵素を意識している。
かつては沖縄県が健康寿命トップだったが、海洋汚染やファーストフード化の影響で脱落している。
現在では海辺よりも山地のほうが健康的というのが、なんとも意外な展開だった。
高地だと強い野菜が育ちやすく、それを食べることで健康的になれる、ということがある。
また最近では、標高の高い場所にいれば気圧が低いので、結果として人体内のミトコンドリアの酸化をふせぐ作用がある、という研究もある。
それと長野県で最近のホットな話題といえば、俗に言う「淫行条例」が、とうとう制定される運びとなったことだ。
これまで長野県では唯一「淫行条例」がなく、18歳以上の男子が17歳以下の女子と性交することが、法的に認められていた。
それが完全に日本からなくなるということで、だいぶ恋愛・性交の自由が制限される。
そして最近の研究では「女子の妊娠・出産適齢時期は22歳あたりまでで、以降はどんどん健康的出産力がさがっていく」ということもわかっている。
極端だが、これらを考慮に含めて健康かつ安全な少子化対策を考えるのであれば、法的に性交を認められる18歳から、健全な状態の精子・卵子を保てる22歳までの4年間のあいだに子供を作るべし、ということになる。
ただでさえ男女共に草食化している現代の日本では、敷居の高い話になっていくし、そもそも国自体が人口抑止策で、市販されている食品にあえて不妊物質をいれているくらいだ。
いまにはじまったことではないが、この長野県の一件で、そもそも国側は国民に子供を作らせる気はないし、むしろ少子化を意図的に促進させ、海外労働者をふやす算段なのだろう、と僕は改めて感じた。
結果として、より晩婚化や高齢出産にもつながっていくだろう。
必然的に出産のリスクはあがり、能力の低い子供や障害児が、日本人には増えていくことになる。
いよいよ本当に健康的に子供を作れるのは、ごく限られた富裕層だけになってきているわけだ。
かつての日本のベビーブームや、現在の新興国の発展具合を見ればわかるように、性欲と生産性にはそれなりの比例関係がある。
それを考えれば、現代日本の草食化社会はゆゆしき事態なように思えるが、僕自身はそうした現状も、ひとつの当然な帰結として捉えている。
というのも、世界全体の総合的な利益を考えるのであれば、日本人が新しく子供を産むよりも、増加傾向の海外労働者に日本にきてもらったほうが、生産力がアップするためだ。
日本人が従来からの義務教育で培われるのは、いわゆる「社畜力」だし、アメリカのように起業を考えられる日本人は、そう多くはない。
高所得層の家ほど、学歴や運動神経のいい子供が育つ傾向なのは間違いないが、それでもすべてがそういうわけではなく、ドロップアウトしてしまう子供もいる。
これからどんどん日本人の子供人口はスリム化され、その価値を保つことはできる。
しかしそのいっぽうで、日本に海外労働者がふえることで最低賃金はさがってゆき、日本人達自体の生活水準も、さげざるをえなくなる。
なぜなら海外労働者は時給100円だろうと、祖国の生活に比べたら全然良い生活ができてしまうためだ。
祖国でのみすぼらしい地獄の生活を知っているだけ、「日本のほうがマシ」と思うことができるわけ。
いっぽう日本人は大体が温室育ちで、高い生活水準に慣れきってしまっている。
その日本人が、海外労働者と同じようなコンビニバイトしかできないようでは、当然経営者は低賃金でも不平を言わない海外労働者を採用していくしかない。
新宿や池袋なんかは見ていて一目瞭然だが、だいぶ中国人のコンビニバイトというのが増えているね。
テクニカルな仕事(モチベーション2.0系の仕事)ですらそうだ。
日本人のだいたいは技術や知識を身につけども、実践力が伴わないことが多い。
しかし現在は東南アジアの実践力の伴った技師が、どんどん日本で就職している。
特にモチベーション2.0の典型として「公務員や官僚になってさえいれば人生安定」と考えている高学歴者も、いまだ多い。
そういった「古き昭和の生き方」をしているかぎり、もう日本人に前進などない。
特に教師といった職業は、少子化で今後まったく需要がなくなることは、火を見るより明らか。
今後教師業は国語、数学、英語などの各科目のエキスパートが選別され、ネット上で授業を配信していくスタイルをとっていくだろう。
本当に有益な教師しか、生き残れない世界になっていく。
今後大多数の日本人がどのような行動をとるか次第だが、おそらくは特に意識も変化せず、時代の流れに身を任せるだけだ。
すると実質的に今後日本は、高度経済成長期以前の戦前のような、途上国の状態にもどる可能性すらある。
言い方は悪いが、今後日本はさらにこうした「奴隷生産国」になっていくだろう。
世界各国に分散投資している富裕層からすれば大歓迎な状態だが、こうなってしまってからでは一般人が大金を稼ごうとしても、だいぶ円安が進んだあとなので、難易度は高い。
その点だけは、心しておくべきだ。
奴隷状態を脱したければ、他の大多数の日本人に、意識や思考を同調させてはいけない。
成功者たちの考え方に、意識をむけていきます。
だいたいお金も自由に稼げず、学校・仕事で時間もあまりなく、おまけに恋愛・性交したり、子供・家庭を作る余裕すらない状況に、素直に頭(こうべ)を垂れてしまっている現代日本人というのは、人生いったい何を楽しみに生きているのだ、という感覚でもある。
特に現代の10代20代、「オタク・メンヘラ」とか「童貞・処女」とか言われて蔑まれている人で、少しでも悔しいという気持ちがあるのであれば、今一度、自分の人生を見直すべきだ。
でなければあなた自身がかわいそうだし、他人から自分自身をまったく大切にしていないと認識され、さらに疎まれるだけ。
誰しも、自分を大切にできない人と一緒には、いたくはないものです。
国の趨勢に流されず、もっと本気で自分の人生をよりよい方向にしていくことを、考えよう。
人生全体のやることを考えるとき、日本人は余計なことを考えすぎるが、これも単純なことで、大原則として「現状の生活に不満があるなら、とにかくお金を稼げ」だ。
これは男女ともに共通。
貧しい生活から脱出する、家をたてる、子供を作る、旅行する、オシャレする、健康に気をつかう、夢を実現する。
なんでもいいが、だいたいの欲望は、お金があれば達成できることだからだ。
あなたのやりたいことは、お金がないから、いつまでたっても中途半端に終わるし、無為に時間ばかりがすぎていく。
ここで僕が言っているのは「趣味や好きなことをやめろ」ということではない。
それとは別に、先にしっかり自動的かつ効率的な収入源を確保しておけ、ということだ。
自己実現の時間は、稼いでからいくらでも作れるのだから。
女性ですら「稼ぐ」のが正解。
女性は「キャリアウーマンで稼ぐのが正しいのか、専業主婦で育児・家事するのが正しいのか」ということで悩み、稼いでも「恋人・子供のいない負け犬」と言われ、主婦になっても「乞食」と言われ、世間からのバッシングの板挟みになる。
この点についての僕の意見もはっきりとしており、前者の「稼ぐ」在り方が正しいと思っている。
なぜならば育児や家事すら、お金があれば外注できることだからだ。
イギリスでは、だいぶ育児や家事が外注するものとして当たり前になっている。
「育児を他人任せにするのはよくない」と言う日本人もいるが、恋人関係をはじめとするあらゆる人間関係がそうであるように、親子仲もずっとくっついているほうが、基本的に悪化する。
やがて母親にとって、子供が憎悪の対象になることもあるだろう。
夜中に寝ているときに、赤子の泣き声で毎晩おこされる母親のストレスは、甚大なものだ。
ある程度距離を保っていたほうが、人間関係というのは総じてうまくいく。
よってナニー・ベビーシッターについては、肯定的に捉えていくべきです。
そうして最終的には「稼ぐこともでき、子供を作ることもできる女」を目指していくのが、女性の標榜すべき人生と言えよう。
男性も女性もどちらも稼ぐことで、双方に自立力がうまれるし、いざ別れるという段になったときにも、スムーズにいく。
従来の「男性だけが稼ぐ夫婦関係」で、女性のほうが専業主婦・パートをやっている場合、女性にはキャリアもブランドもまったく育まれない。
子供がひとりだちしたあとに離婚してしまえば、年をくってからほっぽりだされた女性のほうは、生きる術の欠片もない。
まさに僕の母親が、そうなりそうな感じだね。
女として、最低最悪な人生だと思う。
それと勘違いしてはいけないのは、「働く」のではなく「稼ぐ」ということ。
男も女も、どちらも雇用主に使われているだけの惰性な社畜状態では、手に入るお金は高々知れているし、家事や育児の外注はもちろん不可能。
そもそも子供自体、作るべきではないだろう。
しかしアフィリ、FX、転売などの、レバレッジがきいていて、なおかつ自営業でやっていける稼ぎ方を選べば、その障壁はクリアされる。
どんなに自分が興味のない分野であっても、稼げるとわかっているのならば、それをやる。
それだけです。
ちなみに「女性の人生観」を、さらにふみこんで語るのであれば、僕はいわゆる「ゴマをすって夫にくっつく妻(専業主婦)」のことを、完全否定はしない。
なぜなら、相手の男にしっかり首輪をつけるだけの魅力がある女性というのも、中にはいるからだ。
それはそれで、れっきとした価値と言える。
その魅力の代償として、女性は相手の男性の経済能力にあやかれるわけなのだから。
男に依存した金銭的余裕だろうと、自分にもお金が行き渡っていて、結果がすべてと考えるのであれば、そういった人生も正しいと言えるわけだ。
僕は結果を第一に見ます。
とはいえ、万が一その相手の男性に捨てられたときに、別の男性がまったくよってこないような、よくある「売れ残り女性」では、当然アウト。
結果的にも、自分自身にお金が行き渡らなくなるわけだから、これはダメなパターンだ。
「男性に捨てられたあとも引く手あまた」という女性であれば、その女性自体に独自の魅力があることになる。
お金稼ぎでいえばある程度、商売相手が複数いて困らない状態なわけで、男性たちに価値を提供できている女性ということになる。
だが自己研鑚もせずに相手の男性の善意に甘えている女性は、誰にも価値を与えておらず、お情けで生き長らえさせられている状態なのだから、やがては足元をすくわれるリスクも高い。
相手の男性を困らせるということもそうだが、なにより自分のためにならないので、注意したいところだ。
自力で稼いで人生をよくすることよりも、媚を売って他人のお金で生きていって人生をよくすること(俗に言うラテン)のほうが、難易度で言えば100万倍難しい。
交渉術・心理学を勉強していて、なおかつ詐欺師ばりに口頭の会話が上手。
そういう世界で生きている人むけなのさ。
しかしそれで生活できている人は、本当に一握り。
ホストやキャバ嬢ですら、カリスマ中のカリスマと言われるくらいにならなければ、難しいだろう。
そんなことをするのに時間をさくくらいなら、普通に自力で稼げるようにしたほうが時間を使わずにすみ、合理的で楽な人生を送れます。
これは夫に依存する妻だけでなく、親に依存する子供にも同じことが言える。
親に媚を売り続けて、嫌な思いをするくらいなら、やはり自分で稼いでしまったほうがいい。
それにしっかりした親ほど、資産をうけつがす資格のない子供には、確固たる態度をとるものだ。
親に金銭面で依存しきって「自分は金持ち」と吹聴する子供を見ていれば一目瞭然だが、だいたい実際のところ非効率的なコンビニバイトをやっていたり、第三者にも乞食みたいな卑屈な態度をとってくることが多く、結局「法螺吹き」という印象が覆せない。
自立力はもちろん、親に対する交渉力も不足している、ということだ。
お金を持つ・増やせる人格のない者にお金を与えても、あっというまにそのお金はなくなっていくだけ。
だからこそ親がお金持ちであっても、そのお金を子供に与えないことは多い。
宝くじで5億円があたり、そのうち3億円を使って優雅な生活をして、残り2億円になったとたん、もとの貧乏な生活に戻るのが怖くなって自殺してしまった人がいるが、これこそまさに「魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えよ」を体現したような話だ。
そもそも既得権益自体に依存しすぎるのもよくないことで、親にしても不動産にしても、いわゆる「古い資産」なわけなので、今後もいろんなリスクがつきまとう。
最近僕が業容を拡大しているのも、そういった理由からだ。
それと基本的に、海外では「専業主婦」という概念がないことも念頭においておこう。
普通海外で「専業主婦です」なんて言ったら、馬鹿にされる。
海外では結婚している女性でも、仕事を持っているのが当たり前。
「専業主婦です」なんて言うのは「ニートです」と言っていることと同じ感覚なので、注意しよう。
なんであれ、男女かかわらず、相手に必死になってこびりつくと、逆に相手からは嫌悪されるものだ。
恋愛では特にそう。
むしろつきはなし、「あなたなんていなくても自分は生きていける」と逆張り的に言ったほうが、相手はひきとめてきたりする。
成功者は慰留も依存もしない。
そういう最低限の心理学を学ぶ努力というのも、怠らないようにすべきだ。
お金稼ぎにしても人間関係にしても、相手とはある程度距離をとっていたほうが、お互いの自己成長になる。
そしてじっとしている人は、男だろうと女だろうとつまらないものだ。
というわけで、男も女も考えすぎ。
とりあえず今の生活が不満なら、もっとお金を稼ぐ努力・工夫をすればいいだけ。
「地獄の沙汰も金次第」という言葉があるくらいだ。
恋愛も健康もオシャレも旅行も自己実現も、ありとあらゆる幸福は、お金のあとにいくらでもついてくる。
長野県の淫行条例制定の話からだいぶ離れたが、それが今回の記事の趣旨だ。
女性は、批判されてもいちいち気にしちゃいけない。
稼ぎまくった結果、確かに結婚しづらくなった高収入女性というのはいるが、別に結婚そのものはそこまで重要ではない。
結婚よりもむしろ、前述のとおり、タイムリミットつきの健康的な出産に対するスタンスのほうこそを固めることが、重要。
そう僕は思う。
男はそもそも迷う必要すらないね。
お金にも時間にも余裕がないなら、ただひたすら稼ぐための勉強と実践をしていこう。
スティーブ・ジョブズも言っていたことですが、人生とは往々にして「シンプル・イズ・ベスト」です。