京都一人旅・諸行無常と諸法無我にふれる

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10月の頭は、京都を一人旅していた。
関東地方をとびこえての一人旅ははじめてだったので、だいぶ良い経験だった。
何事も「はじめて」というのは刺激になるね。

当日もやはりそのときの気分で、いきなり京都に行くことを決めた。
本当に「そうだ、京都へ行こう」のノリだ。
YoutubeのCMで、タモリさんが京都に行っている姿を見たのも、きっかけだったかも。

そんなわけだから、ホテルも現地で携帯を使って当日予約。
意外なことにこの時期でも、ホテルはだいぶ埋まっている状態。
民宿や安いホテルは完全に埋まっていて、値段の高いホテルだけがちょっと残っている程度だった。

タクシーの運転手に聞くと、アジアの旅行客が年々増えているため、とのこと。
2月~3月上旬がすいている、ということだけど、この時期もそのうち埋まってしまうだろう。

みんなも京都を静かに見たいなら、はやめはやめに行くことをオススメするよ。
数年後には、本当にディズニーランド並の人混みになっている可能性すらあるだろうから。
今後、京都の観光客が増えることはあっても、減ることはないでしょう。

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普通に寺を巡る以外にも、深夜に「哲学の道」を散策したけれど、このときは自分1人しかいなくて、だいぶ気分よく回れた。
星空の下、川の流れる音を聞きながら思索に耽れるのは、貴重な体験だね。

深く考え事をするため、そして人生を見つめなおすため。
そんな意味でも行き先を京都に選んだわけだけど、だいぶ正解だったかなと。
お坊さんとも深くお話をさせてもらって、やはりよく触れた概念は「諸行無常」と「諸法無我」。

世界に不変のものは存在せず、あらゆるものは徐々に形をかえていく。
自分自身もまた、周囲の環境によって変化しつづける。

これはビジネスにおける権利収入・既得権益にも言えるし、当然人にも言えること。
たとえば現状はよくても、夫であり親であり、自分の会社であり国であり、不動産でありサイトアフィリ収入源であり、そういった自分の生活を支える上で依存しているものが、明日にでもすぐになくなってしまう可能性は、いつでも潜んでいる。
それらがなくなったときでも平気なよう、リスクヘッジを積極的にとっていくことの重要性を、再認識したわけさ。
親に甘えている子供にしても、結婚をした奥さんにしても、油断はできない。
人間の感情なんてものはまさに諸行無常で、秒単位で変わっていくものだ。

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約束・契約は、総じて無意味なもの。
とりわけ恋愛や結婚において、彼氏彼女に振られたり、旦那さん奥さんに捨てられるのは、全部自分のせいだ。
相手のせいにするのは、ことごとくお門違い。
そして最近は、そうした緊張感を抱かせない、確実に自分に尽くしてくれる奴隷のような、絶対安全圏の異性とつきあう人もふえているが、そもそもこれはまともに恋愛している状態ですらない。
ただの、成長しない者同士の慰めあいで、学びも刺激もない恋愛です。
相手に振られたり捨てられたりする危険性があるからこそ、その恋愛は実りあるものとなり、いきいきとして楽しくなる。
お金稼ぎでも、当然同じことだね。
けっきょく自分自身の価値を継続的に維持する、もしくは高め続ける以外に、それまで手に入れてきた権利収入・既得権益を維持する方法はないということさ。

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。

成長をやめてしまった人間に、権利などないのだ。
圧倒的な収益源や魅力的な人脈を手にいれた後でも、ひきつづき魅力的な人間でありつづけること。
ぜひ、それを忘れないようにしよう。

無償の愛が許されるのは、原則、親が子に注ぐ愛情まで。
むしろ中途半端な無償の愛は、その相手を堕落させるよ。
実際無償の愛や過保護によって甘やかされて育ってきた子供というのは、「まわりが自分に尽くすのが当然」という、社会貢献性皆無の態度が当然となり、将来的には夢のない社畜かニートになりがちなので、注意が必要。

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人間はみな、自分自身の価値を高めることで、何かを手に入れる。
価値がさがれば、見捨てられる。
そんなふうに孤独な存在なわけだけど、その孤独ゆえに、自由にもなれる。
あらゆるものを自分の好きなように、自由に手に入れ、自由に手放す権利を持っている。
孤独を悲観するのではなく、積極的にとらえていこう。

こういう話を聞いてしまうと、「自分はこういう人間だ」と思いこんで、結局変化・成長しようとしない人が多いけれど、そこで「諸法無我」なのさ。
人間は原則、同じ精神状態というものを保つことができない。
つまりは、無我なわけだよ。
「一貫した自分」なんてものは幻想。
そうしたものを気取ってみても、結局はただ頑固になって、成長を放棄しているだけにすぎない。
執着をなくすことで、人間は自分が無我であることを自覚できる。
そして自分が本来は、ただの真っ白なキャンパスであることも、再認識するわけだ。
自分のまわりにおくもの次第で、そのキャンパスは赤くも染まれば青くも染まる。

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まわりにおいてある環境や情報によって、人間の思考・心性というのは、刻々と変わっていく。
この環境・情報・思考といった一連の流れを、意図的に操作しないかぎり、成功者のルートをたどることはできないよ。
「それまでの自分の環境、感覚、思考、行動といった習慣が原因で、今の自分と現実がある」ということを強く認識し、改善する必要がある。

サイトアフィリをやるにせよ不動産経営をするにせよ、恋愛をするにせよファッションをするにせよ、お金がかかるとか時間がかかって面倒だとか、あるいは嫌悪感を催すとか。
人生を成功させるうえでは、感情レベルでネガティブなことが、たくさんある。
しかしそれまでの人生で失敗の連続をたどってきたのであれば、おとなしく感情や執着は捨て(無我)、理性的に成功者の思考、環境、行動をコピーすることに、努めるべきだね。

諸行無常と諸法無我。
人生を成功させるうえで非常に重要となる、古来から続く概念です。
ぜひ、覚えておこう。

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家族仲が悪いほど成功者になりやすい?

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(画像は7月の安房鴨川旅行より)

最近判明してきたこととして「母親との仲が悪い人は、成功者体質になりやすい」ということ。
どうやら幼少期に母親と良い関係を結んでこれなかった人って、一定の感情が欠落していることが多いようだね。
だいたい頭のおかしい母親を持っていると家族内で基本的愛情が形成されないので、「周囲の価値観は信用できない」「自分を守れるのは自分だけ」という思考にシフトしていき、結果、理屈で行動しやすくなる。

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母親との仲が最悪 → 理屈傾向 → 成功者体質
母親との仲が良好 → 感情傾向 → 失敗者体質

自分が理屈ベースの人間か感情ベースの人間か。
その見極めが重要です。

多くの人は「非・成功者の価値観」で生活している。
なぜなら周囲の人々というのは、だいたい成功者とは程遠い、普通の人生を送っている。
そして人間は、そうした周囲の情報・影響をうけて、後天的に生き方が左右されていくから。
まわりが失敗者だらけなら、自分もまた失敗者になりやすい。
だから幼少期において「まわりの人間が敷いた価値観のレールには、絶対に乗らない」という気概を持つことが、わりと重要なわけ。

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それまでの生き方、考え方、感情が原因で、お金稼ぎや人間関係において失敗した人生を歩んでいる。
なので成功者になりたいなら、自分の中にあるそうした感性、感情、見栄といったものを一旦すべて捨て、理屈によって行動する必要がある。
納得のできないことでも、とにかく成功者に言われた通りに、成功者の思考・行動をコピーすることに努める。
「変化・成長のためには、感情ではなく理屈によって行動する必要がある」ということさ。

理屈ベースの人間は、成長・変化していくことに優れている。
その場しのぎの感情にとらわれず、みずからが設計した将来へのステップにしたがって行動をおこせるからだね。
よって成功者の行動・思考を素直に模倣していき、お金稼ぎや人間関係においても、すぐに成果がでるようになる。
いわゆる守破離ですね。
実際こうした人々はネットでのお金稼ぎにしても、マインドの部分を省いてやり方(ノウハウ)を教わるだけで、すぐに実践して成果をだす。

いっぽう母親と仲睦まじい関係を形成しながら温和に育ってきた子供だと、感情ベースの人間として育ってしまう。
自分の家庭における温かみがあたりまえのものとなり、社会に対しても無意識のうちに、そうした安定志向や温かみを求めるようになる。
だからこそリスクを避け、普通に学校へ行ったり、会社員になったりする人が多いわけ。
ネットのお金稼ぎでも、ノウハウを教わったところですぐには実行に移せず、マインドから強化していく必要のあることが多い。
僕にはよくわからない感覚だけど、やはりこうした人々は、ネットのお金稼ぎに対する、もしくは社会から村八分にされることに対する「得体の知れない恐怖感」というのが、根底にあるらしい。

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物事に対して過度に怒りっぽいところも、文字通り、感情ベースの人には特徴的。
たとえば子供を殺した犯罪者が報道されるたびにプリプリしている人が日本人には多いが、わりとその感覚、僕にはわからないことが多いね。
もちろん犯罪だから「悪いこと」という認識はある。
しかし怒る怒らないという観点で話をするならば、「そんなことでいちいち怒っていられるほど人生は長くない」という理屈が先行するのさ。
犯罪者に対する憤りはまだマシだが、これが政治家に対して「自分の生活がよくならない」となんやかんや文句を言う人であれば、本格的に人生失敗する人の典型という感じだね。
ニュースを見るだけならまだしも、ブランドのあるコメンテイターでもないのにいちいちニュースについて意見・文句を言うことって、成功哲学的には人生の浪費だったりする。

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あとは、理屈型であれば一人で精密な行動をすることが得意、よってレバレッジのきく高収入なネットビジネスにも向く。
逆に感情型は複数人で単純作業をすることが得意、よって現場のレバレッジのきかない低収入な仕事が向く、といった特徴もある。

なんであれ、自分が感情傾倒なのか理屈傾倒なのか、よく見定めることが重要。
感情傾倒であれば失敗者の価値観になりやすいため、マインドから強化していく必要がある。
理屈傾倒であれば、ノウハウを習得して実践するだけでOKな可能性がある。

ところで成功者体質というのは、それだけの不幸を味わっているので、当然のことながら良いことばかりでもないね。
たとえば母親との人間関係が悪いと、思考が成功者に傾くぶん、犯罪者にも傾きやすい。
正確に言えば「母親との仲が悪い人は、成功者か犯罪者になりやすい」ということ。
ぱっと見、家族仲の悪い人で犯罪をおかさずに成功者になっている人は、やはり少ない。
しかし感情ベースの温和な家族よりも、理屈ベースの冷たい家族からのほうが、成功者がでてくる可能性は圧倒的に多いということも事実。
これから育児を開始しようとする親御さんにとっては悩ましいところだけど、意図的に子供を理屈ベースに育てようとする場合は、注意が必要だね。

そもそも成功と犯罪って、わりと紙一重な部分がある。
成功にしても犯罪にしても、刺激的でダイナミックな人生というところが共通点。
実際、性犯罪や自殺未遂をおかして成功者に転じた、というケースはやはり多い。
誰とは言わないけれど、そうした成功者をだいぶ見てきているよ。

いっぽう普通の温和な家族関係で育った人たちにはそうした刺激がなく、無の人生となりがち。
極端だけど、母親と仲のよい男子がしばしばマザコンとなり、大人になって就職しても母親離れができず、いつまでも恋人ができない。
そうしたパターンがあるよね。
幼少期からすでに満たされた人間関係があると、それ以上を求めなくなり、将来的にお金稼ぎも恋愛も捗らなくなる、というのは確かに言えることなんだね。
温和ゆえに刺激やリスクを求めず、後々成功者と比べると無みたいな人生になるというのは、なんとも皮肉な話だ。
逆に幼少期における感情や幸福感が希薄だと、反動で大人になったときには、逆にそうしたものを求めようとする。
そういうことなのだろう。

どっちのほうが幸せ、ということは言えないだろう。
酸いも甘いも噛み分けた、ダイナミックな人生を送りたいのか。
それとも学畜・社畜をしながらも、漠然とした幸福感に包まれた平坦な人生を送りたいのか。
ただ平坦な人生だとあまりお金も稼げず、大震災のときに逃げる術がなく、日本の没落とともに死んでいくことになるのは、言うまでもない。

余談がすぎたが、お金を稼ぐ上においても、幼少期に自分がどんな風に育てられてきたのかは、影響を与えてくる。
そして温和に育てられてきた人が成功者になりたいのであれば、成功哲学やマインドといったものを徹底的に脳内に叩き込まないと、なかなかうまくいかないことが多い。
このことを覚えておこう。
そんなわけなので、特に温和に育ってきた人ほど、ナポレオン・ヒル「思考は現実化する」やスティーブン・R・コヴィー「七つの習慣」を脳に焼きつけるほど、繰り返し読み返すことをオススメするよ。
劣悪に育ってきた人は逆に、なるたけ感情欠落をうめる勉強・経験を、たくさんしていくようにしよう。

僕も大概理屈傾倒の人間なので、やり方を教わってもなかなか行動に移せない人たちを見るたびに「なんでできないのだろう?」と考えていたが、この「家庭環境が稼ぎ力に影響する」という話を知って、ひとつ謎を払拭できた感じだね。

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渋谷マルキューのよくわからない矛盾したお話

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渋谷マルキューと言えば全国屈指のファッションビル。知名度も高い。
服は相応の値段で、トップスからボトムスまでセットで買うと、どの店でも大雑把に言って、平均的に5万円前後する。(あくまで私的目安)
最近はずっと雨続きで、久々に晴れたので、今回はそのマルキュー(メンズ)で服を買ってきたわけだけど、どうにもよくわからないことが起きた。

店員は「これどうですか?」と、どんどん客である僕に服をすすめてきて試着させ、「似合いますね」と有無を言わさず買わせる雰囲気を作り出す。
ここまではよくある、お決まりの展開ですね。
ただ、会計のときのやりとりが異様。
店員に「5万円です」と言われて、僕は財布の中身の札束のうちの5万円を、ぺい、と無造作にカウンターの上に放る。
店員は「お客さん、普段どれくらいお金を持ち歩いてるんですか?」と聞いてくる。
僕は「30万円ですね」と答える。
店員は「やば」と、なぜかドン引きしてくるわけさ。
正直、僕はその店員が何を言ってるんだか、よくわからなかった。
そういう値段のものを「これどうですか」と散々すすめているのは、他ならぬ店員のあなたでしょうが、と笑ってしまう。
まともにマルキューで買い物をするのなら、上下あわせて5万円がデフォなのだから、そこで30万円を持ち歩くのは、別に変なことでもなんでもないわけだ。
6セット買っただけで、すぐスッカラカンになってしまうよ。
で、今回実験した所、面白いことにこうした現象が1店舗のみならず、複数の店舗で確認できた。
「金持ちですか」とか「お客さんからしてみたらチッポケな金額なんでしょうけれど」とか、よくある台詞が返ってきたのさ。
マルキューが全体的にそういう状態、ということなんだね。

意外にもマルキュー諸店員の給料って、そこまで良くはないようだ。
ワーキングプア状態とまでは言わないが、なんとか自ブランドの宣伝用の服だけは着ている、みたいな感じで。
だから自分たちがオススメして売っているものでも、実際には自分では手を出せずにいる服が、圧倒的に多い。
つまりあの店員達は、自分たちが買えもしない値段の服を、平気で客にはバカスカ「オススメですよ」と言って売っていることになるね。
みんなはこういうのって、信用できるかい?
正直僕は「特段この服が自分に似合うと思っているわけではないんだな」って感じたよ。
僕は店員が言うように、本当に「自分にあう」と思って、その服を買おうとするわけだが、一気にその気持ちが踏みにじられてしまう。
はっきり言って「失礼」の部類かなあ、と。

もちろん売っているもの相応の給料を店員に与えない経営陣にも問題がある。
アパレル店員が服に不自由しているのでは本末転倒だし、そんな人達から服をオススメされても、まったくセールスの説得力がなくなってしまうからね。
ただ基本的には結局、店員達のセンスの問題だな、と僕は感じたよ。
「所持金は30万円です」と言われても、店員も「それが当然」という風に、普通にしていればいいんです。
前述のとおり、こういうところで買い物をする以上、それくらい所持金を持っているのが当たり前なんだから。
そういう値段のものを売りこんでおきながら、いざその同額のお金を見せつけられたときには、ビビってしまう。
そんなことではやっぱり「この服が似合います」とオススメしたところで説得力もないし、お客の気持ちをつかむことなんて論外中の論外だね。

今回の矛盾点の要点をまとめると「店のレベルに、店員がついてこれていない」ってことだ。
売るときは店のレベルにあわせて「これどうですか」とオススメしてくるわけだが、店員のプライベートモードが姿を表せば、たちまち「こんな高額なもの、自分には手をだせない」という表情になる。
ここが、大きな矛盾・違和感となって、ずっと僕の中に残っている。
意味合いが違うけど、なんとなしに僕は店員さん達を見ていて「中国で中国人が日本人の靴を磨いて、大金(日本人にとっては端金)を手に入れている風景」をイメージしていたな。

何が言いたいかといえば、みんなもなにかしら「自分のビジネス」というものを持っていると思う。
その自分のビジネスに、自信を持ってほしい、ということなんだね。
情報商材を2万円で売るにせよ30万円で売るにせよ、売るからにはその金額をうけとって当然、という毅然とした態度でいればいい。
いざお金をうけとるときに「本当にこれ受け取って大丈夫なのかな?」とか「やっぱ自分とは違う金持ちなんだな」とかビビったりすること自体が、買い手にとっては極めて不快になる要素で、マイナスイメージ。

最近オシャレの研究をしていることもあって今回お遊びで行ってみたマルキューだけど、多分もう行くこともないかなあ、という感じ。
あんまり話していて楽しい店員というのも、残念ながら少なかった。
恋愛と同じ。
一度目は冒険心から、なんでもいいのでその相手とデートしてみたくなる。
しかしそのときに不快な思いをしたり、次回のドキドキを予期させるようなことがなければ、二度目はないのさ。
恋愛でもビジネスでも、リピーターをたくさん作れる人は優秀だね。

おそらくマルキューでは、物怖じしながらもちびちび買う人がお客としてはたくさんいる一方、僕みたいに一気に買うお客が少ないから店員はビビった、ということでもあるのだろう。
しかしオシャレや服に対して真剣にとりくんでいる人であれば、むしろ僕みたいな態度のほうが正解で、そこを非難されるいわれはないわけさ。

まあそれにしても社畜というのは改めて報われない職種だなと、改めて僕は感じたよ。
車を売るみたいな仕事なら、店に売られているすべての車を買い、乗ってレビューするなんてことは確かに非現実的。
でも服なんて、そこまで高くはないんだからさ。
ワーキングプアという単語は、本当によくできているね。
働けば働くほど、貧乏になっていく。

結局、個々人の人生に対する意識の問題なのさ。
自分の売っているもの、自分が属している業界の価値を正確に把握できていない人は、今一度見直してみることをオススメするよ。
そこで見直せず、結局お金を受け取るときにビビるようなことがあるのなら、もうその職場で働くことはやめたほうがいいね。
時間の無駄だ。
その仕事は、あなたには向いていません。
そして仕事をやめてできる時間で、サイトアフィリでもやればいいんだ。

なにかにつけて「仕事をやめたら生活がなりたたない」と言い訳する現代人が多いけど、日本では生活保護なんてものがあるから、別に野垂れ死ぬことはない。
徹底的にSEOアクセスを集めまくるまでサイトに記事を投下して、十分なアクセス量になったらアフィリ広告を張ったり、情報商材を作ったり。
それまでは生活保護で生き長らえることができるじゃないか。
利益がでないうちは課税もないし生活保護もうけられるから、中途半端な時期に広告を貼るのではなく、一気に月収50万円以上を見込める十分なアクセス量になってから広告を貼る、というのがミソだね。
良いスキームじゃないか。
もちろんアメリカだったら、こうはいかないよ。
アメリカでは「稼げない人は死ね」という完全資本主義の世界だから。
しかし日本はそうはなっておらず、社会主義体制で生活保護があるわけだ。
僕は正直こういう制度が嫌いだけど、あるならあるで、利用する手はない。
現在進行形で社畜をやっている人にとっては、背に腹は代えられない状態なわけだし、プライドを捨てて、こういうところで決断していかないと、やはりなかなか人生は変わらない。
プライド。
人生生きる上で、一番不要なものかもしれない。

もちろん正社員やバイトをしながらでも情報起業はできる。
しかしそれは当然長い道のり。
月収100万円を達成するには7年以上かかかってしまうかもしれない。
これが会社や学校を完全にやめた状態で、24時間をフルに情報起業に使えるなら、1年で月収100万円を達成できてしまうこともある。
時間はあればあるだけいい。
これはもう、成功者の誰もが言うことさ。
そのことを再度、みんなには自覚してほしいね。

アパレル店員にしても、そのまま仕事なんかやってるよりも、今の仕事をやめて服関係のサイトを作って、サイトアフィリや情報商材販売でもやってたほうがお金がたくさん手に入る可能性は、正直高いね。
そしてそのお金で、今よりもオシャレな服をたくさん買えばいいんだ。

「面倒くさい」とか言う人はマインドの問題になってくるけど、別にここで僕は「将来に対するヴィジョンを持て」とか、よくある綺麗事を言うつもりはない。
最近よく言っていることで、特に頭のいい人に言っている言葉がある。
「進学のために3年間続けるくだらない受験勉強の積み重ねの苦しみに比べたら、1年間サイトアフィリの記事を構築して不労収入を得るなんてことは、はるかに楽でマシな苦労だ」
たいしてモチベのおきない、不安定な将来しか約束されない受験勉強を繰り返しつづける苦行に比べたら、人生の大量の時間確保につながるであろうサイトアフィリという作業のほうがはるかに有意義だし、楽。
秤のかけかたの問題なんだよ。
「40年間死に物狂いで働いてカスみたいな給料をもらいつづけるだけの、時間もお金もない人生がいいのか、1年間苦労して、あとの人生は月収100万自動で稼げる人生がいいのか」
なんであれ人生は一度きり。
いろいろ自分の意識の中で、あらゆる過去の自分や未来の自分、今の自分を、比較してみるといいね。

実際に高額塾を見てみると、参加している人の大体が、時間にもお金にも余裕がある人。
だいたい世襲の大家業か、サイトアフィリエイターなんだね。
もしくは、社員を使って完全に経営を自動化させることに成功した、社長さん。
このように、収益を完全に自動化させている人たちをつぶさに観察することも、非常に重要。
お金持ちほど働かない、ただし自動で稼げる仕組みは必死こいて作りあげる。
ロバート・キヨサキの言う「ESBIクワドラント」のうち、絶対にE(労働者)にはなってはいけない。
この事実も、よく認める必要がある。
みんなにとっては具体例として身近に僕がいるのだから、僕のことを徹底的に研究するのが近道だね。

そうそう、完全に東京人向けの余談だけど、埼京線・湘南新宿ラインを使ってJR渋谷駅で降りる場合、一番北側の車両に乗るのがオススメ。
常時使っている人はわかるだろうけど、ホームが離れているせいで、ハチ公口までかなり歩かされる。
東京メトロ・副都心線を使って渋谷駅で降りる場合も、駅がだいぶ地中深くに埋まっていてかなり階段をのぼるため、注意が必要。
埼京線・湘南新宿ライン・副都心線はどれも便利だけど、新設された鉄道のため、渋谷では特段、不便なところにホームがあるようだ。
最後にちょっとした、耳寄り情報。

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