時代の潮流というものが変わっていくように、人間一個人の好き嫌いもまた変わっていく。
だから人が求めるものも、どんどん変わっていくことになる。
つまり変化できない人間というのは、いろんな人から見捨てられてしまう運命にあるということ。
にもかかわらず、人間って基本的には自分にしか関心がない。
自己分析とか自分の好き嫌いとかね、そういうものにしか目を向けない。
そういう人達はだいたい余裕がないから、他人のことなんていっさい眼中にないんだね。
「他己分析より自己分析が好き」は、稼げない、モテない、夢をかなえられない、という人の共通点のひとつ。
若いときであればあるほど、他己分析や他人の好き嫌いには目をむけたほうがいい。
10代の子供がアイデンティティーの確立に時間を注いでばかりなのは性質上仕方ないけれど、20代、30代と大人になってもまだこんなことを続けているのは、肩をすくめちまうね。
子供の段階で他人のことをしっかり考えられる人になっていれば、成功はだいぶ早期のうちにやってくる。
好き嫌いなんてね、どんどん変わっていくものなんだよ。
1年もしたら別のモノにはまってたり、飽きていたり。
もともとは理系科目が好きだったけれど、気がついたら文系科目が好きになっていたり、好みのタイプが胸の小さな女の子から、胸の大きな女の子に変わっていたり、はたまたゲームばっかりやってた人が、お金持ちになったとたん、いろんな異性とデートするようになったり。
そんなことは世の中、いくらでもある。
世間もそうだけど自分という存在もまた、そんな風にちっぽけにできているのさ。
自我同一性なんてものはない。
そのことに気づけた人がいちはやく幸せを手にする、それはたしかに言えることだね。
よしんば自我同一性があると思いこんでいる人も、だいたいそんなものは頑固を押し通しているだけにすぎないんだからさ。
ずっと同じ場所から動かずにいると、当然思考も停止するし、発想も陳腐になるだけ。
脳にカビをはやしたくなければ、はやくこんな負のスパイラルからは脱却すべきだね。
必要とあらば、周囲の人間関係や環境を変えるすらいとわない。
諸行無常。
自分なんてものは無でいい。
不特定多数が求める自己を、常にクリエイトしていく。
そのほうがいろんな人に好かれるし、お金を稼げればモテたりもする。
だから自分なんかよりも、他人を分析することのほうが大切なんです。
変わることを恐れてはいけない。
他人からの影響は、素直にうけいれよう。
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