人は想像以上に変化・成長しない

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他人に期待するのは別にいい。
だけど依存をしてはいけないね、当たり前だけど。
他人ってのは想像以上に変わらないし、怠惰傾向の多い今の日本人であれば、それはなおさら言えることだ。
期待が裏切られたとしても、飄々としていればいい。
そもそも期待ってのは裏切りという発想自体を前提とはしないんだな。
勝手に自分から期待してるわけで、相手にその期待なんてものは、まったく関係ないわけだからね。
ただ仮に、相手が成長を望んでいたり、自分との共存共栄を望んでいる、ということであれば、期待をかけることで、ある程度モチベーションを刺激してあげることはできる。
期待という発想は、そうして使ってあげるのがいい。

変わるなら自分からだよ。
率先垂範でとにかく他人の手本となるような自分を演じ続ける。
それによって他人も刺激されて、どんどん変化していく。
こういう形が、一番理想なんです。

「勉強しろ」って強制したところで相手のモチベがあがらないままでは、まったく無意味。
強制よりも、相手の心を刺激してあげることが重要だ。
変化、成長し続けられる人は、まわりには人を集めることができる。
そして成長の好循環を作ることができる。

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リア充とオタク・21世紀の日本の本質を穿つ2つの言葉

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リア充とオタク。
この2つほどわかりやすい言葉もないと思う。
日本人ってコンプレックスの塊なのかわからないけれど、どの国の人よりもとりわけ「勝ち組」と「負け組」の線引きを作る気がするな。
21世紀の日本では「リア充=勝ち組」「オタク=負け組」という意味で、暗黙の了解で使われている印象だ。

実際はオタクという言葉は多義語で「定義が違うのでは?」という意見もあるだろうけれど、言葉の意味なんてのは、個々人が具体的に定義したところでまったく不毛。
その言葉が世間で実際にどのような使われ方をしているのか、いわゆる「慣用」に目をあてたほうがいいね。
慣用はいつでも強い。
誤用であるはずの言葉が、それによって一気に正しい表現になってしまうことすらあるんだから。
こればっかりは大衆が強いのさ。
「オタク=何かに熱中している人」と定義したとしても、実際には「気持ち悪い」とか「負け犬」とか、世間ではそういう負のイメージで使われがち。
まずはこれをしっかり認識しないといけないんじゃないかな?

その対義語として「リア充」という言葉が機能する。
お金を稼げ、モテて、夜も不自由せず、毎日が自己実現で満たされている、そんな状態だね。
「オタク」は、それをなしとげることができていない状態と考えていい。

何が言いたいかというと、こういう感覚を大切にしてほしい、ということだね。
今の日本って想像以上に活力がないし、夢も希望もないって感じ。
そんなときこの「リア充」とか「オタク」とかいう言葉を聞くことで、いろいろイメージすることもあるでしょう?
オタクは気持ち悪い。リア充は輝いている。
そんなことを考えれば「オタクになりたくない、リア充になりたい」なんて思うこともある。
それだけでその思いは、モチベとして立派に成立する。

どうか日本独特のコンプレックスの雰囲気だけで、自分の可能性を貶めないようにしてほしい。
そして他人を妬んだり、見下したりもしてはいけない。
そんなことをしているうちは永遠に性格が悪いままだし、成功なんて夢のまた夢だから。
逆にこういう感覚は、うまく利用していこう。

言葉は魔法のように使えれば、それだけで勝ち。
リア充やオタクという言葉をとおして、少しでもやる気のでる人が現れれば、僕はそれでいいと思っている。
特にこの2つの言葉、今の世代の人達には響く言葉だろうからね。
今後の時代をになう若手には、どんどん行動してもらわないといけない。
というわけで、今日は以下のエールを皆さんに贈って、記事をしめよう。

キモいオタクになりたくなければ動け!
恋人作って稼げて夢をかなえられるリア充になりたければ動け!

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人が行動するときは2つしかない

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ひとつは危機回避。ひとつは快楽追求。
特に威力が高いのは前者だ。
どんなに怠慢な人でも、自殺志願者でないかぎり、震災や津波がやってきたら必死に逃げようとする。
危機にさらされた人間ってのは行動力に満ちているのさ。
だから危険な経験をつんできた人間もまた活力的なことが多い、そんなことが言えてくる。
よく成功者が「10代、20代のうちの苦労は買ってでもしろ」って言うのは、こういうこと。
成功者の人格になるには、とにかく無理矢理にでも従来の自分を変えていかないといけない。
そんな強制的に自分を変えたいときに、危険な経験というのは役立つ。
自分を追いこめない人は、やはり成功しないね。

10代のころからボケーと生きているとリスク許容度がどんどん低くなり、ゆくゆくは社会規範からはずれないよう行動するだけの付和雷同の機械になってしまう。
だから親からの温室育ち、箱入り、過保護というのは危険。
親が子供の行動範囲を大きく制限してしまうと、子供はどんどん大人や社会に依存するだけの存在になってしまう。
実際僕の知り合いにも、ネットビジネスをはじめただけで胃が痛くなって、薬なしにはやってられなくなった、という人がいる。
この人こそまさに、大学生になってもなお門限のある女の子だ。
過去にもっと自由で、それでいて冒険的な生活を送っていればこうなる可能性も低かった。
そんなことが言えるんじゃないかな?

「年をとると発想や感性が鈍る」なんて、年齢を言い訳にしててもしかたない。
リスク許容度が低いという人は、10代だろうが30代だろうが50代だろうが、どんどんなんでも経験、挑戦していくべきだ。
でないと本当に、なんにもできない、なんもない人生になってしまうよ?
別に年食ってようが食ってなかろうがすごいやつはすごいんだからさ。

極端な話、大学卒業するまでになにも恋愛経験のない人と、中高生時代に中絶経験のある人なら、僕はまちがいなく後者のほうが将来的には成功すると思うね。
多分前者の人は、平坦な人生しか送れない。
可も不可もない資産と人生で、いざデフォルトなどで日本の経済が崩壊したときには、その対処なんて夢のまた夢だろう。

この危機回避の欲求、自分の人生を大きく変えたいときだけでなく、もちろん他人を動かしたいときにも使える。
自己実現、ビジネス、恋愛、なににでも使えるよ。

最終的にはこうした危機感すら楽しめるようになって、危機回避と快楽追求をイコールにできる領域まで達したら、それはきっと最高の人生だね。
このマインドの方向性は、成功の基本中の基本。
危機感、もしくは理想像を自分の脳に喚起するということ。
そうでないと人間は動かない。
このことを、しっかり覚えておこう。

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